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2016年8月22日 (月)

コーヒーの伝来とAroma Nusantara

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前に紹介したKali Besar Timur IIIのVleutenの隣にこれもオランダ時代のRotterdam Lloydの建物(1938年築)を

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リノベして1階の一角にコーヒーショップのAroma Nusantaraが営業している。このブランドはいくつもある印象だがAmbassador Mall にある店のオーナーでありコーヒーマスターのHeri Setiadiがやっているようだ。インドネシアの各地のコーヒーが味わえる。例えばスマトラはアチェガヨ、マンダイィン、ランプン、ジャワはマラバール、シトゥボンド、バリのキンタマーニ、スラウエシのトラジャである。ババンドンのアロマも別の流れながら有名である。
アンバサダーモールの方ではバリ・キンタマーニ・コーヒーがレッドワイン色で冷コーに合うと言っている。 10時間強もドリィップするから驚きだ。ダッチコーヒーともいうようだ。
インドネシアにコーヒーが齎されたのは1696年であった。当時コーヒーはアラビア半島のモカからヨーロッパにもたらされ高級嗜好品でもてはやされていたのであるがトルコの妨害によりそのルートが断たれたことから他所での栽培の動きとなりその一つがインドであった。 これをジャワにも移植せんとしたのはズワールデクローン総督の2代前のヴィレム・ヴァン・オウフホールン総督であったが初は失敗したものの、1699年ズワールデクローン総督は同じくインド西南海岸マラパールより植樹し成功にこぎつけたものである。
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この総督のお墓はシオン教会聖堂の入り口の前庭に置かれている。その後ボッシュ時代に強制栽培で1832年ジャワで50百万本の植樹がされ、1840年までに330百万本植樹されたとされ当時の写真も飾ってあるが、1840年にオランダによりカメラも持ち込まれていたとはちょっと信じがたい。当時コーヒー道具一式を担いでコーヒーショップの行商をしていた写真もあった。
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このビルは独立後国営商社の一つTjipta Niaga(その前はAneka Niagaか)が保有していた。ジーンズショップ(Galeri Jeans)もあったようだ。

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