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2016年8月の投稿

2016年8月31日 (水)

ファタヒラーで憩う 

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昨日のブログのファタヒラー横通りのカフェの続きであるが、真ん中のSeni Djakartaは外がパラソル・テラスにしてあるからか外人観光客が多い。そしてSeni DjakarteではBir Pletokというブタウイ人の飲み物があるがBirというのでビールであろう。植民地時代オランダ人が飲むビールが上手そうでプリブミが創作して作ったものでアルコールが主でなく、カルダモン・シナモンなど香辛料やショウガ、レモングラス、砂糖を2時間煮立てて作るらしいが、この店だけのものである。冷たいものには泡があるが熱くして飲むと泡はない。
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一番手前のBangi KopitiamであるがKopitiamとは中国語でコーヒーショップなるごとしであるが、この店はマレーシアのフランチャイズで主にマレーシア料理で辛そうである。中をのぞくと壁に古い仲間が集まっている写真が飾ってあるが Lost Heritage、Muhibbahとあるが創業者仲間であろうビリヤードまである。さぁどれにするか迷う。


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2016年8月30日 (火)

ヒストリアで憩い

ファタヒラーの歴史博物館の横の道で並んでいるカフェで一番奥がHistoriaである。この奥に中庭テラスがある。


Historia Food & Barというのでちゃんとビールもある。この店はオランダ時代はスパイス(rempah2)の倉庫だったというので入口の廊下href="http://jakartan.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2016/08/30/00_historia_spice_aug_16_53.jpg" class="mb">00_historia_spice_aug_16_53には両サイドにいろいろな容器が飾っている。窓も広いので日中写真には困らない。 行ったときは3時ごろだったので客はほとんどいない状態であった。

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ミーティング中のスタッフの一人がすぐ出てきて応対してくれ、飾っていた(プロモーション用)コタトアの地図の精巧な彫刻版(Klokwerk Studio作)も貰い写真を撮るのが精いっぱいであった。何せ飲み食いは良いが無計画な場合その処分に困るからである。


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なお彫刻版 黒星印は3ケ所のトランスジャカルタバス停、真ん中あたりの黒い場所がHistoria


インドネシア・ジャカルタ歴史今昔 | | コメント (0)

2016年8月29日 (月)

懐かしきジャカルタの歌


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ジャカルタポストの記事で出てきた歌がある。Gang Kelinciという題で、ウサギ道とでもいうのかネズミ道ではないが狭い道のことだろうと思ったが、よく読むとそれは小生も何時か行ったことのあるPasar Baruの同名の中華そば屋(Bakmi gang kelinci)がある道で確か道の名前にもなっている。歌の方は1965年にTitik Puspa作曲、Lilis Surjani歌唱でリリースされたものである。歌の内容は、人間どもが多くなってウサギ王国を放逐したとか、時の終身大統領を批判した歌である。
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他に“Kembali ke Jakarta”というのが紹介されている。ロックミュージシャンのTonny KoeswoyoでKoes Plusグループでヒットした歌である。放浪する若者が故郷懐かしく戻ってくるジャカルタの魅力をうたったものでどちらも古いが此方のジャケットDVDには現在のジャカルタの風景がいっぱい見られ、記念品に使えそう。リフレインする歌詞“Ke Djakarta aku kan kembali walaupun apa yang kan terjadi” に共感するだろう。写真は小生のアパートからの風景で歌とは関係ない。


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2016年8月26日 (金)

今なぜ金融危機が。。

インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 8月号の目次は、「今なぜ金融危機。。」がと金融危機を考察してます。その他工業会社のIFTなど運営問題が注目です。
この月刊誌は会計、税務,、貿易、金融、産業、経済、企業 政治等のインドネシアで経営する企業が関わる全ての分野の重要法令など満載している。
月刊誌の購読の他、毎週法令ニュースなどをE-mailでお届けするサービスもあるので、是非ご連絡ください。 他に会社運営に必要な会計記帳・経理指導、税務計算申告代行、投資関連許認可・変更事項の法務セクレタリ-なども個別フイーにて提供しております。どうぞご利用ください。
詳しくはウエブサイトwww.indonesialink.net/indomalco/或いはメールアドレスrisa@indomalco.com
又は 'kitamura@indomalco.com、 nishimi@indomalco.comに照会下さい。 
1. 今月の経営情報・事例研究 枚 頁
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 4 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   5 6
  3 ) インドネシアの 「会計原則 206~超インフレ経済下の財務報告 2」 4 11
  4 ) インドネシアの なぜ今金融危機対策 3 15
  5 ) インドネシアの 経済指標 あの金融危機時代との比較 2 18
  6 ) インドネシアの 健康保障掛金の納付及び過料支払いの手順 3 20
  7 ) インドネシアの インランド・フリートレードの対象産業 1 23
  8 ) インドネシアの 移転価格税制と税務調査対応 その2 3 24
  9 ) インドネシアの 工業分類のための投資額と労働力規模 1 27
  10 ) インドネシアの 今後10年間の電力開発計画 その2 4 28
  11 ) インドネシアの 工業団地所在工業会社の租税・関税便宜 6 32
  12 ) インドネシアの 知的財産ライセンス契約の登記 2 38
  13 ) インドネシアの 大富豪 150 ランキング 3 40
  14 ) インドネシアの 金融システム危機の予防及び対応法 6 43
  15 ) インドネシアの 7月のSNI関連工業大臣令 3 49
  16 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 1 50
   
2. 今月の政治・経済情報      
  1 ) 2016年7月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 2 51
  2 ) 2016年8月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 3 53
  3 ) 2016年Q2のGDP速報、物価・貿易16年8月発表 メール配信 4 56
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 「明日の街角128~オリンピックの歴史から」  橋本政彦 3 60
  2 ) 「胃癌手術で入院」 広沢 勉 2 63
  3 ) 「独立宣言文起草記念館」 西見恭平 3 65
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2015-2016トレンド メール配信 2 68
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 70
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 71
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。    

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表紙写真:バンカ島の西端ムントックに残るプサングラハン・ムヌンビン内のホール。プサングラハン・ムヌンビンは、インドネシア独立後の1948-49年に、復権を狙うオランダ政府により、初代正副大統領スカルノ・ハッタら独立に貢献した英雄らが幽閉されていた館。標高700メートル程度のムヌンビンの丘の頂上に立つヨーロッパ風の建物で、外観は西ジャワ州リンガルジャティの建物に似ている。一方通行の細い道を上下交代で通らないとならないが、連休には多くのインドネシア人観光客が、当時スカルノが乗せられた車や、使用していた寝室などを見学していた。

発行:PT. Indomalco Info Center
Plaza Sentral 5A Floor, Jl.Jend.Sudirman No.47, Jakarta 12930, Indonesia
TEL: (+62-21) 570-9767, 570-9768(直通), Fax:570-9769, 574-1923
Handphone:0816-726585, E-Mai:risa@indomalco.com, 筆責:北村、兼松、西見
ホームペイジ:www.indonesialink.net /indomalco/


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2016年8月25日 (木)

ファタヒラーのカフェ


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この通りは昔、汚いビルに Bar / Pubなどがあって少し怖かったが今は通り全てがリノベされ、綺麗で大きなコーヒーショップ・レストランになっている。コタ・トウアのバンク・インドネシアからファタヒラー広場に向かうピントゥ・ブサール・ウタラ通りである。

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こちらの写真はファタヒラー側からバンクインドネシアを望む方向から撮ったもので右側に3軒の店がある。名前は「Bangi Kopitian」と「Djakarta」、それに「Historia」である。先のカフェ・バタヴィアやアロマ・ヌサンタラと共に、ファタヒラー観光に関しては食事などで憩う場所には困らなくなっている。


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2016年8月24日 (水)

インドネシアのリオ五輪


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インドネシアから戻る日はちょうどインドネシアのリオ・オリンピックの選手団が帰国した日でもあった。今回のオリ
ンピックでインドネシアが得たメダルは金1銀2であったがスカルノハッタ飛行場からの凱旋に全員居たのかは不明だ。凱旋パレードの車列は1台のみであったからだ。インドネシアの選手団はバドミントンと重量挙げが中心で確か28名程度だったがバトミントンはアーマド/ナトシール組の混合ダブルスが金で、ウエートリフティングでは48㎏女子でスリ・ワフユニ、62k男子エコユリ・イラワンが銀を取っている。インドネシアは国技がバトミントンと言われているが重量挙げも過去結構メダルは取っていたのである。しかしオリンピックの金は1992年(ミュンヘン)でインドネシア初のスリ・スヤンティ以来である。バトミントンのオリンピック種目となったのはこの1992年でその前は1972年が公開種目であった。この時の金メダルはバドミントンの神様 ルディ・ハルトノであったが、公開種目なので正式メダルとしてはカウントされない。ルデイ・ハルトノは全英で1968年16歳で優勝後、7回連続合計8回の優勝をしている。

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2016年8月23日 (火)

カフェ・バタヴィア

アロマ・ヌサンタラはカフェ・バタヴィアの裏手左にある。カフェ・バタヴィアはとっくにブログしていると思ったら見当たらない。


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ここはファタヒラーに観光に行くときはほとんどの人が寄るレストランだと思う。建物自体は古く1837年築でVOC(そのころはもうないはずだが)の事務所だったという。200年近くなるが、そうは見えない。そういえば1980年代だったここはファタか覗いたら昔の耕具みたいなものが埃をかぶっていた記憶がある。


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そう、レストランはそんなに古くなく1991年にEka Chandraがこの建物を購入しリノベして1993年にレストランをオープンした。そのときここと歴史博物館が地かでつながっていたのかトンネルがあり人骨が出てきたなどという話だ。

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このレストランの内部の造作は洒落ており、あちこち、便所の内部まで古い欧米の写真が飾られていたり、2階の大きなバーはすぐ座りたくなる魅力があった。1階も昔朝までテントと蝋燭で楽しめる仕組みもあった。得意料理はAvocado dome, tucsan bread, red capsicum coulis, lobster thermidor, Australian beef tenderloin medallion topped with melted cheddarらしいが値段は結構高い


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2016年8月22日 (月)

コーヒーの伝来とAroma Nusantara

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前に紹介したKali Besar Timur IIIのVleutenの隣にこれもオランダ時代のRotterdam Lloydの建物(1938年築)を

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リノベして1階の一角にコーヒーショップのAroma Nusantaraが営業している。このブランドはいくつもある印象だがAmbassador Mall にある店のオーナーでありコーヒーマスターのHeri Setiadiがやっているようだ。インドネシアの各地のコーヒーが味わえる。例えばスマトラはアチェガヨ、マンダイィン、ランプン、ジャワはマラバール、シトゥボンド、バリのキンタマーニ、スラウエシのトラジャである。ババンドンのアロマも別の流れながら有名である。
アンバサダーモールの方ではバリ・キンタマーニ・コーヒーがレッドワイン色で冷コーに合うと言っている。 10時間強もドリィップするから驚きだ。ダッチコーヒーともいうようだ。
インドネシアにコーヒーが齎されたのは1696年であった。当時コーヒーはアラビア半島のモカからヨーロッパにもたらされ高級嗜好品でもてはやされていたのであるがトルコの妨害によりそのルートが断たれたことから他所での栽培の動きとなりその一つがインドであった。 これをジャワにも移植せんとしたのはズワールデクローン総督の2代前のヴィレム・ヴァン・オウフホールン総督であったが初は失敗したものの、1699年ズワールデクローン総督は同じくインド西南海岸マラパールより植樹し成功にこぎつけたものである。
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この総督のお墓はシオン教会聖堂の入り口の前庭に置かれている。その後ボッシュ時代に強制栽培で1832年ジャワで50百万本の植樹がされ、1840年までに330百万本植樹されたとされ当時の写真も飾ってあるが、1840年にオランダによりカメラも持ち込まれていたとはちょっと信じがたい。当時コーヒー道具一式を担いでコーヒーショップの行商をしていた写真もあった。
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このビルは独立後国営商社の一つTjipta Niaga(その前はAneka Niagaか)が保有していた。ジーンズショップ(Galeri Jeans)もあったようだ。

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2016年8月19日 (金)

インドネシア国家予算と税務行政

2017年の国家予算案が発表された。これから国会でもんで年末あたりに決定する予定であるが、歳出は2,070兆と前年補正2083兆に比しても緊縮予算である。
歳入も1738兆と抑えられてる。 結果財政赤字は332兆でそのGDP比は2.4%で前年2.35%より悪化。背伸びのないおおむね妥当な線で、プロジェクトの執行など余分なものは先送りなど見るのであろうが、今この国家予算の再建が重要である。
2015年税収予算が当初1,371兆が23%も未達で1,061兆となり2016年はアムネステイによる税収が見込まれてそして17年につながるわけであるが、このアムネステイ法が法人税の税率引き下げと関係していることに初めて知ることになった。アムネステイで資金還流させるのは主に低税率のシンガポールであり、これを呼び込むためには無罪放免の特赦税だけでなく、シンガポールと同じ税率の17%にしないと還流の魅力はなくなる。そして条件の3年が過ぎるとまたシンガポールに帰るのを防ぐためもあり、一歩踏み込んでビりトン島あたりをタックスヘイブンにしようとする案も出てきた。 税率は一挙に切り下げるのか、本当にタックスヘイブンが創設されるのか、その収支は非常にむつかしいものがある。 

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2016年8月18日 (木)

旧ほど文化度高いマタラム朝

マタラムについての記述には自信がないので再度確認してみた。まず古マタラムと新マタラムがある。古はヒンドゥーであり、新はイスラムである。古マタラムはサイレンドラとサンジャヤの2王朝説とかあり年代も場所も重なるが、理解し易くするには場所と興隆盛衰の流れで説明し且つ古マタラムはヒンドゥであるのでサンジャヤ1王朝説としたい。まず6世紀ジャワ西部にセレンドラが仏教王朝を起こすが少し時を置いてその東に732年サンジャヤがサンジャヤ王朝を起こす。778年にサンジャヤは若干東遷しその後をサイレンドラが襲い服従させる。属国になりながらも共に王を抱き王朝は継続する。サイレンドラのサマラトウンガ王の王女を姉の婿のサンジャヤのピカタン王が娶りサンジャヤ家に実権が移って行く婚籍関係もあった。サマラトンガ王を挟む時代の何年かにわたり(760-850年)に大乗仏教のボロブドールが建設されるが、その後もサイレンドラは歴史に名前が出ることはあってもジャワのサイレンドラ朝は850年代で途絶える。サンジャヤ朝はその後も、最後のセンドックがイシャナ王朝を起こす(929年)迄、クバヨランのいくつかの道路名(ダクサ・トロドンなど)になった王が続きセンドックの前のワワ王時代にロロジョグランが完成している。イスラムの新マタラムはヒンドゥーのマジャパヒット滅亡(1528)の跡、1584年スノパティが起こしたもので現在の中部ジャワの4つの王家につながる系譜であるがスノパティの2代目のパネンバハンが称したマタラム王国という名前自体は1755王家分割で消滅している。こちらも多くの戦乱、事件がちりばめられた歴史である。

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2016年8月17日 (水)

2016年7月 インドネシア投資環境トピックス

内閣改造:ムルヤニ、アムネスティ+法人減税等で財政再建へ
7/15 所得税法と付加価値税法の見直しへ、ジョコウィが表明。
7/15 タックス・アムネスティ法:ジョコウィ自ら周知活動、チーム設置等々
7/18 競争力強化に向けて、土地・建物名義変更料の廃止など政府検討。。
7/21 製造業のインランドFTA計画、農機・燃焼モーター・家具・病院用ベッド・尿素

テロ関係治安厳戒:大使館も警戒情報
7/5  ソロの警察本部で自爆テロ、警官1人けが。
7/10 今度はサバ州沖、イ人船員3人拉致される。
7/18 ポソでイスラム過激派MITムジャヒディーン指導者サントソ他数名射殺:。
7/28 イスラム寄宿学校など9行の閉鎖呼びかけ:在イ・トルコ大使館。

その他
7/1  タングーLNG拡張で第3液化系列(年産380万トン)を増設、投資80億ドル。
7/15 ハラル認証法令案、今年11月は食品、2017年は化粧品、2018年は医薬品
7/13 アジアインフラ銀、世銀と協調融資でイ貧困地区の生活改善事業に4億ドル。
7/18 3月の貧困層2,810万人、率は10.86%で、前回(2015年9月)に比べて微減。
7/18 EUとのCEPA交渉開始で正式に合意:イ商業相。
7/29 新特許法が国会で可決、発明保護、国益重視、知的財産権、コンサルの強化

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2016年8月16日 (火)

ムルデカ・チムールの国立美術館

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(Galeri Nasional:Galnas)で大統領宮殿の絵画展をやっているが、2度も行って無駄足だったので撮った看板写真で我慢しよう。一度は土曜日であったがまず観覧のためのレジスターに長蛇の列、そのあと入館人数制限もあり、何時間か待つようだったので諦め、次の平日は早め開始、遅め終了の昼休みにぶつかりアウトだった訳なので電話で確かめるのが良いだろう。一番良いのは8月21日と28日のGallery Tour(10時と15時)に参加することだと思う。


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それほど感銘を受けた絵画はないが、その後家で昭和17年発行の蘭領印度史を読んでいた本の口絵にこの写真と遭遇したものであるが、説明はボロブドール寺院建設当時のジャワの農村生活想像図とあっただけである。 史実に近い想像図なら同じ感興を共有してみるのもいい。


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2016年8月15日 (月)

ウイシュヌの化身前後の古代史

志村隆太郎氏の「ウイシュヌの化身」を読んだ。インドネシア11世紀の東ジャワのアイルランガ大王の半生をベースに創作も凝らした歴史小説といえる。自然の雄大・悠久の表現や息をつかせぬ戦乱の描写は圧巻でまた時に氏の温かい剽軽さを思い起させることもある。長いヒンドゥー仏教時代の中で30年の一瞬に光った英雄と表しているがこの30年の、前後の歴史が気になって今筆を取った所である。
この王はバリのウダヤナ王の長子であるが、ウンプ・センドックが創設したイシャナ王朝の4代目?の王ダルマワンサ王の娘婿として婿入り結婚式の当日反乱軍に強
襲され王は死亡、妻となる予定の王女は行方不明となる。これは歴史書としてはプララヤの大破局と記され一旦イシャナ朝(クディリ朝)は崩壊する。その後3年森の中で修行を積んだアイルランガがクディリ朝を再建することになり、東ジャワの地方領袖との幾多の戦争ののち東ジャワの統一国家を建設するが突然現れたダルマワンサ王の側室の子供が長じてイシャナ朝の正式後継者と主張され、悩んだ王は自分の息子とこの側室の子供二人の確執の解決としてせっかく統一した東ジャワを分割統治させる。息子はジャンガラ国、側室の子はパンジャル国となるがこの本は平和のために二つに分割した両国の戦争を予言して終わっている。
Mp Sindokがイシャナ朝を起こしたのは929年で古マタラムが東遷して起こしたものとされるが古マタラムは難解であるが、ボロブドールを建設した仏教のサイレンドラ朝やロロジョクランを建設したヒンドゥの古マタラムのサンジャヤ朝を包摂するようだ。クディリとはパンジャル国の首都で、ここからクディリ朝と言われるようで、二つに分かれたのが1042年で1059年以降のある年ジェンガラはパンジャルに吸収され、このクディリ朝は1,135年ごろのジャヤバヤ王など出しながら1222年迄存続し最後の王クルタジャヤの時ケンアロック(Rajasa)が簒奪して5人の王の70年のクリスに呪われたシンガサリ国から、その最後の王クルタネガラの時代に元寇に乱され、その娘婿Wijayaが1293年マジャパヒット王国を創設する大きな歴史の流れがある。

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2016年8月12日 (金)

インドネシアの生命保険会社


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インドネシアの保険会社は数が多すぎるようだ。90社リストとかベスト45だとか目にしたが、今回特に生命保険会社をみてみると上位は外資系が握っている保険会社だ。Investor という雑誌がランキングをつけて賞を出しているが、とりあえず上げると生保として雑誌社判断でまず6社をノミニーとして選択した。そのリストはPT Prudential Life Assurance, PT Asuransi Jiwasraya (Persero), PT Panin Dai-ichi Life, PT BNI Life Insurance, PT Asuransi Jiwa Adisarana Wanaartha, serta PT Asuransi Jiwa Inhealth Indonesia.
であった。
他の資料でも評価基準が固まっていないがランダムにベスト(terbaik)10を出しているがその名前は以下の通り。小生が総資産ベースに順をつけてみた。
1) PT Prudential Life Assurance
2) PT AIA Financial
3) PT Asuransi Jiwa Manulife
4) Asuransi Bumiputera 1912
5) PT Allianz Indonesia
6) PT Asuransi Jiwasraya
7) PT AXA Mandiri Financial Service
8) PT Avrist Assurance Asuransi Avrist
9) Asuransi CIGNA
10) Asuransi Sinarmas
この雑誌社のベスト10以外でAvristを超える企業としてSequis Lifeがあり、10位のSinar MasはMSIGと合弁となりこれもAvristを超える。 CIGNAより上にはいくつかあると思うが日系のPanin Dai-ichiを代わりに入れよう。


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2016年8月11日 (木)

英国斡旋の対蘭独立戦争の会議

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海軍武官府公邸でのインドネシアとオランダとの交渉は正式には1946年2月10日に始まった。それまでも1945年11月17日の進駐連合国のクリスチソン英軍中将仲介の会議は持たれたが、英軍も巻き込まれた軍事衝突は高まり、連合国主導のイギリスは環境を整え交渉を再開する事でイギリスからクラーク・カー特使を派遣しシャフリル・ファンモーク会議を斡旋した。この時は3月3日も会議が行われ断続的交渉があったと思うが外ではタン・マラカの人民戦線の即時完全独立の声が益々強くなっていった。 彼らはシャフリルの交渉そのものに反対した。そして1946年10月7日の、リンガルジャティ協定につながる停戦協定を討議するキラーン卿仲介の会議が持たれたが英国が引き上げたのは、46年11月30日であり、これまでの上記の会議が前田海軍武官公邸で行われたことになる。英軍が去った直後の12月スラウエシでオランダのウエスターリング大尉の一派が婦女子4万人惨殺事件を起こしている。


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2016年8月 9日 (火)

独立宣言文起草記念館

独立宣言日が近づいたので宣言文起草記念館に行ってみた。

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外からはいつも見るのであるが、今日は裏手に回ってみた。敷地面積が3,900m2以上もあるので裏庭は広いが、今はいくつかの建物の棟が並んでおり、管理事務所となっている。中の展示もいろいろ変えられており、予算が回っていることを思わせた。裏庭には防空壕があったそうであるが今は、この事務所建物やテントなどがあり、所在は確かめられなかった。宣言文を起草した部屋は多分円卓ダイニングだと思う。このダイニングの外側がテラスとなっており、キッチンにつながっていたようだからである。このキッチンは3小部屋もあり、表側の会議室あるいはホール・ラウンジにも開いているので大パーティなども出来たのだと思う。結構な人出であるが、現在は9月6日までMohammad Hasan展をやっている。聞くと初代アチェ知事だったよし。

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2016年8月 8日 (月)

タムリンのヒジャブ

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ポドモログループが手掛けた物件でCityがつくものでThamrin Cityを上げたが昨日行ってみた。タクシーで行けると
ころで何かレストランでもと思って出かけたのであるが、レストランはモールの長いテラスに何軒もあったがビールを飲みながら憩えるところはない。何よりもビールを供する店がないのである。ジャカルタは余程のインターナショナルなレストランか日本人の店にしかアルコールを出す許可が下りないのである。
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モール内は巨大で昔、路上パッサールなどで営業していた衣料品や装飾小物の店がびっしり、特にここはイスラムファッションが中心で日本人に出会うこともなく、美人もいない。しかし近くにタムリン・レジデンスもアマリス・ホテルもあり、それがCityの最低限であろう。調子が常時悪い小生は2~3時間が限度であり、雨も降ってきたのでアパートに帰りアパートのレストランに行ったがここもビールがなく、4ケ月になる冷蔵庫のビールを思い出して事なきを得た。

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2016年8月 3日 (水)

バタビアとその周辺の知識

20世紀初頭の蘭領東インドは一応37州に分かれて地方行政を行っていたが、州には3つの種類があり、アチェ、スマトラ、セレベスの3つの知事州Provinsie /Gouverneurと32の理事州Residentie/Resident或いは副理事州である。
人口は全国で38百万、バタヴィアは2.1百万、ニューギニアは20万の規模であった。
ジャワは便宜的に西ジャワ省、中ジャワ省、東ジャワ省に分けていたが、バタビア州はバンタム州、プリアンガー州、チェリボン州とともに西ジャワを形成していた。そしてバタヴィア州はバタヴィア、メースター・コルネリス(ジャティネガラ)、バイテンゾルフ(ボゴール)、クラワンの4つの自治市(Gemeente ステータス)よりなっていたが、タンゲラン市は早くにバタヴィアに合併され、メースター・コネリスも1935年にはバタヴィアに合併された。 ここで便宜的に市と呼んだがこれは本国に倣ったGemeenteヘメンテで州の下で独自の議会を持つ基礎自治体で市町村にあたるが大小により差は設けられてない。インドネシア語ではkota prajaと言う。バタヴィア州の下のバタヴィア市の中に又Kawedanan ステータスとしてBatavia郡(或いは下町)があった。
昔に戻っても仕方ないが、当時の歴史ものを読むときの基礎知識としてまとめておくものである。

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2016年8月 2日 (火)

日イのMagsaysay Award

インドネシアの先週のニュースにラモン・マグサイサイ賞(Magsaysay)に受賞者がいたというものがあり、奇妙な名前なのでちょっと見るとそれはDompet Dhuafaというイスラムの慈善団体であった。
それ以上は読んでないが企業や個人からのザカート喜捨の受け皿団体であろう。そういえば日本も2016年は久しぶり受賞しておりそれがJICAの青年海外協力隊ということでついTVでも紹介があったが、何を今更という感じである。JICAの青年海外協力隊はもう50年、延べ41,000人を超える活動歴があり「現地の人々と共に生活し、共に働くという理想と精神に基づいた、これまでのアジア地域の経済と社会の発展への貢献した実績」がある。現在はアジア18か国で575人が活動中だとJICAが感謝の辞を述べているが、こういうことはネットではあまり報道されてないのが残念である。アジアのノーベル賞といわれるが青年海外協力隊は大賞である。
「マグサイサイ賞は清廉潔白で知られたフィリピンのラモン・マグサイサイ大統領(1907~57)にちなんで57年に創設され、社会奉仕や平和、国際理解などで功績のあった個人や団体に授与される。」
今までに315件の授与があるが、日イの名誉が気になり国別に数えてみたがお膝元フイリピンが56件、大国インドが54件、大国ながら中国は遅れて17件、韓国も16件であるが日イタイは同格の24件がらみであった。ベースとなった資金は最初、ロックフェラーとか68年にフォード財団の名前があった。
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2016年8月 1日 (月)

スリムルヤニでどう変わる

ジョコウイ大統領の政権発足後2回目となる内閣改造の目玉はスリ・ムルヤニ氏である。ユドヨノ内閣時代改革の先頭に立ち断行したことから、最終バクリーなど政党から弾劾を受け、辞任、その後世界銀行グループの最高執行責任者(COO)兼専務理事を務めた大物である。2015・6年でのフォーブスの世界の影響力を持つ女性100人に選ばれていたが、これは実は2007年、2008年にも選ばれている。まだ54歳で先もあろうから経歴を示しておくと;
1962年8月26日、ランプン州タンジュン・カラン生まれ。ムスリム。86年、インドネシア大経済学部を卒業、米イリノイ大アーバナ・シャンペーン校で修士、博士号を取得。 インドネシア大教授を経て、2002年、国際通貨基金(IMF)の東南アジア諸国12カ国の代表に就任。04年、ユドヨノ政権で国家開発計画庁長官として初入閣し、05年12月の内閣改造で財務大臣に就任。08年6月から筆頭閣僚である経済担当調整相代行を兼任した。
2回の返り先あるいは転身はいずれも迎えられての旧職辞任である。閣僚辞任はセンチュリー銀行の救済問題であったがその時の副大統領ブディヨノと共にバクリーのゴルカール党、福祉正義党など4党から弾劾され(2010年2月)、5月転出した政治決着だといわれた。
今回のリシャッフルは経済回復が目標といわれているが、財務省は低迷する税収の確保が課題である。前回は暗黒大陸と言われた税務行政から汚職を追放、現在の税務行政の基礎を作ったが、今回の目玉はそうあるものではない。すでにアムネスティ法は実施されたので、その実効が思いつく。つぎが法人税の減税問題があろう。ついでながら日本人が思いつくのは相続税であるが、これはシンガポールも、中国も、豪州もアセアンも相続税はないので机上に上がることはない。世界であるのは日米欧の少数派なのである。

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