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2016年8月15日 (月)

ウイシュヌの化身前後の古代史

志村隆太郎氏の「ウイシュヌの化身」を読んだ。インドネシア11世紀の東ジャワのアイルランガ大王の半生をベースに創作も凝らした歴史小説といえる。自然の雄大・悠久の表現や息をつかせぬ戦乱の描写は圧巻でまた時に氏の温かい剽軽さを思い起させることもある。長いヒンドゥー仏教時代の中で30年の一瞬に光った英雄と表しているがこの30年の、前後の歴史が気になって今筆を取った所である。
この王はバリのウダヤナ王の長子であるが、ウンプ・センドックが創設したイシャナ王朝の4代目?の王ダルマワンサ王の娘婿として婿入り結婚式の当日反乱軍に強
襲され王は死亡、妻となる予定の王女は行方不明となる。これは歴史書としてはプララヤの大破局と記され一旦イシャナ朝(クディリ朝)は崩壊する。その後3年森の中で修行を積んだアイルランガがクディリ朝を再建することになり、東ジャワの地方領袖との幾多の戦争ののち東ジャワの統一国家を建設するが突然現れたダルマワンサ王の側室の子供が長じてイシャナ朝の正式後継者と主張され、悩んだ王は自分の息子とこの側室の子供二人の確執の解決としてせっかく統一した東ジャワを分割統治させる。息子はジャンガラ国、側室の子はパンジャル国となるがこの本は平和のために二つに分割した両国の戦争を予言して終わっている。
Mp Sindokがイシャナ朝を起こしたのは929年で古マタラムが東遷して起こしたものとされるが古マタラムは難解であるが、ボロブドールを建設した仏教のサイレンドラ朝やロロジョクランを建設したヒンドゥの古マタラムのサンジャヤ朝を包摂するようだ。クディリとはパンジャル国の首都で、ここからクディリ朝と言われるようで、二つに分かれたのが1042年で1059年以降のある年ジェンガラはパンジャルに吸収され、このクディリ朝は1,135年ごろのジャヤバヤ王など出しながら1222年迄存続し最後の王クルタジャヤの時ケンアロック(Rajasa)が簒奪して5人の王の70年のクリスに呪われたシンガサリ国から、その最後の王クルタネガラの時代に元寇に乱され、その娘婿Wijayaが1293年マジャパヒット王国を創設する大きな歴史の流れがある。

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