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2016年8月11日 (木)

英国斡旋の対蘭独立戦争の会議

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海軍武官府公邸でのインドネシアとオランダとの交渉は正式には1946年2月10日に始まった。それまでも1945年11月17日の進駐連合国のクリスチソン英軍中将仲介の会議は持たれたが、英軍も巻き込まれた軍事衝突は高まり、連合国主導のイギリスは環境を整え交渉を再開する事でイギリスからクラーク・カー特使を派遣しシャフリル・ファンモーク会議を斡旋した。この時は3月3日も会議が行われ断続的交渉があったと思うが外ではタン・マラカの人民戦線の即時完全独立の声が益々強くなっていった。 彼らはシャフリルの交渉そのものに反対した。そして1946年10月7日の、リンガルジャティ協定につながる停戦協定を討議するキラーン卿仲介の会議が持たれたが英国が引き上げたのは、46年11月30日であり、これまでの上記の会議が前田海軍武官公邸で行われたことになる。英軍が去った直後の12月スラウエシでオランダのウエスターリング大尉の一派が婦女子4万人惨殺事件を起こしている。


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