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2016年8月 3日 (水)

バタビアとその周辺の知識

20世紀初頭の蘭領東インドは一応37州に分かれて地方行政を行っていたが、州には3つの種類があり、アチェ、スマトラ、セレベスの3つの知事州Provinsie /Gouverneurと32の理事州Residentie/Resident或いは副理事州である。
人口は全国で38百万、バタヴィアは2.1百万、ニューギニアは20万の規模であった。
ジャワは便宜的に西ジャワ省、中ジャワ省、東ジャワ省に分けていたが、バタビア州はバンタム州、プリアンガー州、チェリボン州とともに西ジャワを形成していた。そしてバタヴィア州はバタヴィア、メースター・コルネリス(ジャティネガラ)、バイテンゾルフ(ボゴール)、クラワンの4つの自治市(Gemeente ステータス)よりなっていたが、タンゲラン市は早くにバタヴィアに合併され、メースター・コネリスも1935年にはバタヴィアに合併された。 ここで便宜的に市と呼んだがこれは本国に倣ったGemeenteヘメンテで州の下で独自の議会を持つ基礎自治体で市町村にあたるが大小により差は設けられてない。インドネシア語ではkota prajaと言う。バタヴィア州の下のバタヴィア市の中に又Kawedanan ステータスとしてBatavia郡(或いは下町)があった。
昔に戻っても仕方ないが、当時の歴史ものを読むときの基礎知識としてまとめておくものである。

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