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2016年8月18日 (木)

旧ほど文化度高いマタラム朝

マタラムについての記述には自信がないので再度確認してみた。まず古マタラムと新マタラムがある。古はヒンドゥーであり、新はイスラムである。古マタラムはサイレンドラとサンジャヤの2王朝説とかあり年代も場所も重なるが、理解し易くするには場所と興隆盛衰の流れで説明し且つ古マタラムはヒンドゥであるのでサンジャヤ1王朝説としたい。まず6世紀ジャワ西部にセレンドラが仏教王朝を起こすが少し時を置いてその東に732年サンジャヤがサンジャヤ王朝を起こす。778年にサンジャヤは若干東遷しその後をサイレンドラが襲い服従させる。属国になりながらも共に王を抱き王朝は継続する。サイレンドラのサマラトウンガ王の王女を姉の婿のサンジャヤのピカタン王が娶りサンジャヤ家に実権が移って行く婚籍関係もあった。サマラトンガ王を挟む時代の何年かにわたり(760-850年)に大乗仏教のボロブドールが建設されるが、その後もサイレンドラは歴史に名前が出ることはあってもジャワのサイレンドラ朝は850年代で途絶える。サンジャヤ朝はその後も、最後のセンドックがイシャナ王朝を起こす(929年)迄、クバヨランのいくつかの道路名(ダクサ・トロドンなど)になった王が続きセンドックの前のワワ王時代にロロジョグランが完成している。イスラムの新マタラムはヒンドゥーのマジャパヒット滅亡(1528)の跡、1584年スノパティが起こしたもので現在の中部ジャワの4つの王家につながる系譜であるがスノパティの2代目のパネンバハンが称したマタラム王国という名前自体は1755王家分割で消滅している。こちらも多くの戦乱、事件がちりばめられた歴史である。

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