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2016年9月27日 (火)

Ketut Pudjaは英雄


新紙幣・コインに付される英雄の中にはあまり聞いたことのない人の名前が2~3人挙がっている。また英雄に叙されて間もない人もおられるのでまずその一人、I Gusti Ketut Pudjaを紹介しよう。
バリの王族の一人として1908年シンガラジャに生まれジャカルタの法科大学を卒業した。バリの地方理事の役所で勤めたりしていたが日本占領時代の最後の段階では独立準備委員会のメンバーとなり、彼は憲法原稿にあった。 “Allah Yang Maha Kuasa”なる言葉を“Tuhan Yang Maha Esa” に変更することを提案し受け入れられた。
独立宣言後もバリの日本軍は存続していたが、彼は新政府の  今で言えばバリ州、TB州、NTT州の小スンダ州の知事となった。彼は日本軍の統治権を要求しまた自治領の長である王達に対して、独立を果たしたインドネシア政府を支持するよう呼び掛け説得した。
連合軍により事情が変わり日本は治安維持の権力を取り戻しクトゥット・プジャは逮捕され1ケ月拘留された。
1946年3月オランダにより2回目の逮捕でKetut Pudjaは長い禁固に処せられ1948年3月に解放された。その後ジョクジャに移動し、内務省のジョクジャ知事として働いていたがオランダの二回目の警察行動の際には再度逮捕されたこともあったが1950年ハーグ条約が成立、その頃の彼は東インドネシア政府の法務大臣であったがインドネシア単一共和国となるよう努力した。その後共和国首相の議会との折衝スタッフや多くの省庁で勤務を果たし最後の奉職は会計検査院(BPK)総裁であった。
彼は1977年68歳で亡くなり、そして2011年になってやっと国家英雄に叙せられた。同じような名前で蘭米汽船の接客従業員のレイプで30年懲役となったイ人が居るのでちょっと注意。

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