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2016年9月14日 (水)

Nieuhofの三方得かYatim Paiatu

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ジャカルタではよく孤児院を見かける。日本では老人ホームは見かけるが孤児院は思い出せない。多分ジャカルタはオランダ時代の伝統があり、また歴史を有する施設が目立つからであろうか。 日本の鎖国で追放された出島の商館長ナイエンローデと日本婦人との娘コルネリアもジャカルタでは孤児院で育てられたところまで思いだす。

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そして先般国芳の絵の手本となった絵を描いたオランダの画家Nienhofの別の絵を探しているとき、彼の書いた孤児院(Rumah Yatim Piatu)の風景を見つけた。17世紀の後半でコルネリアと同じ時代である。ジャガタラお春が住んでいた、現在で言えばLoa Malaka通りにあったらしい。 左横でバトミントンをやっている子供たちが描かれている。 最古のバドミントンだろう.

こういう孤児院が多かったのはやって来たオランダ人が召使(Budak)に手を出してできた子供らしい。彼らはムラユやポルトガル語は出来たのでオランダ語を勉強させ、男は役所や兵隊に出し、女性は又単身やってくるオランダの男に嫁がせたという。

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