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2016年9月23日 (金)

大学のムプ タントゥラルとは


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ヤニ将軍通りをチャワン方面に下ってくるとき左手に大学の学舎が見える。 Jl,Basuki Rahmatを越えたところである。上方のビル壁に Univ.Mpu Tantularとあるので自慢げにエンプ・タントゥラルと呼んでいたのであるが、本当はムプ タントゥラルらしい。この名前は古マタラムの最後の王でクディリ朝の創始者Mpu Sendokを思い出すが此方は小生最初はエンプ・センドックと学んだが最近はムプ・シンドクが正しい(一般)らしい。タントゥラルはこの古マタラムかクディリ朝の誰かと思われたがそうではなく、14世紀迄下ったマジャパヒット王国ハヤムウルック王時代の詩人である。タントゥラルは仏教徒だが、彼は特にヒンドゥーシヴァにもオープン一で、カカウイン(詩曲)のkakawin Sutasomaがあり(?)、その一小節からインドネシア共和国のモットーである「多様性の中の統一」"Bhinneka Tunggal Ika"が出来たそうだ。Kakawinと言えばその300年前のクデリ朝4代目のアイルランガ王が「アルジュナの結婚」(kakawin Arjunawiwaha)を作らせたMpu Kanwaが居る。Mpuと言うのは賢人と言う尊称である。

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この名前を付けたのがこの大学でBudi Murni 教育財団などが1984年に設立した私立大学で8学部を保有する。

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