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2016年9月21日 (水)

行徳物語その⑥ 防災の歴史

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我が家の近くの県道に妙な標識があった。避難場所として江戸川の堤防が示しているのである。どうして河川決壊で危険な河の方に避難させるのかと不思議であった。その後日本に襲い来る大災害に感覚もするどくなった小生には、いろいろな事実が入ってくることになる。

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まず、この堤防と言うのは噂には聞いてことがあったスーパー堤防がわが街にあるということを知ったのである。ここは江戸川放水路の他所より少し広い堤防だとか堤防公園とばかり思っていたがこれがスーパー堤防だったのである。なるほどそこは我が家の地区より高いので、避難場所とはいえる。この地区は大昔から洪水、津波、高潮時の暴風雨が襲い、その為もあり、この放水路が建設されたのである。


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昔の人はこの荒れ狂う海の竜王を鎮めるため彼方此方に八幡龍王を奉納する神祠を作っている。6丁目と5丁目の隣り合った地区で300メートルも離れてないところに二つもある。堤防公園の近くにあるのが上妙典龍宮様、

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5丁目が下妙典龍王宮で、それぞれ1774年と1752年に造立されたもので、昭和の中頃まで御奉謝がささげられたが

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以降御本尊は一丁目にある日蓮法華経の妙好寺に永久預かりとなっているそうだ。なんとこのお寺は1565年に開基されている。
この地区は江戸時代、塩の産地で栄華の時があったが、それらの塩田は相次ぐ災害に戦ってきたが、最後は大正6年の大津波に完全に葬られた歴史がある。
それは放水路やスーパー堤防完成前であると、一時は一安心したのであるが、家内が引き出しから出して来た市発行の防災マップではこれが覆されたのである。
ここのスーパー堤防は事業仕分けで完全でなくなり、いくつか決壊場所が想定され、その場合は我が家辺たりは床上浸水必須となるのである。従い万一そのようなことがあれば堤防に行くより我がマンションの上の階に行く方が賢明であると結論したので、あとはそのようなことが起こらないことを祈るしかない。


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