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2016年10月27日 (木)

18世紀のサヴ島

クックの第1回航海の下巻の後半のバタヴィア以降をブログしたがその前もインドネシアだから覗いてみる。
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すでにNZのクック海峡を抜けて豪州(当時はニューホラントに立ち寄り更にグレートバリアリーフの座礁からニューギニアに向かうまでも追記したので、インドネシア領のティモールにつながるアラフラ海に出航した最初の地から始まるがそこはどこであったのだろうか。
当時先人達の誤った海図などもあったが、クロノメーターも発明され緯度・経度も図れるようになっている時代でクックが初めて科学的事実に基づいた探検を行った訳だが現在の地名とは異なり先人のスペイン人やオランダ人が名付けた地名となり航海記を読んでも現在のどのあたりかなと思いながらの読書となる。
その出発地はパプアの今はYos Sudarso島となずけられているちょっと北の今はAgatsという港かもしれない。クックはここで上陸しかけて100人ほどの全裸の住民の襲撃を受けている。それが9月3日でジャワのスンダ海峡に至るまでの約3,500㎞を1ケ月かかっていることになる。この後の地名は現在の名前と同じが多くティモールからその西端のロティ(ロッテ)島さらにサウ海のサウ(サブ)島である。ここが9月18日で3日滞在したがその後は一直線で約1,500㎞弱のジャワに向かっている。ここのサウ島はオランダ東インド会社が支配し一人行政長官も常駐していた。オランダ本国から考えると、まさに地の果てまで進出している男のありようは悲惨ながら感動を覚える。

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