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2016年10月21日 (金)

キャプテンクックとバタヴィア

小生のインドネシア歴史年表にキャプテン・クックがジャカルタに来たことがあったというので調べてみた。それは1770年であるのでVan der Parra総督の時代でデポネゴロの乱の後スラパティの乱が続いた少し不穏な時代だったようだ。

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クックの航海日誌には上陸した土地の状況などの描写はなかったのが残念であったがここでクックはボロボロでたどり着いた帆船を修理に出したことだけが記録されている。修理はオンラスト島のドックで船体をひっくり返しての修理であったようで約3ケ月を要している。この間船員も体力も弱まっていたのかマラリヤなどで7人が没した。バタビアは1800年初めには南のウエルトフレーデンに市中心を移した通り猖獗の極みであったのだ。10月初め入港し12月末に13の礼砲を打ち合い出航、多くの船員が発病したままだったこと、最後のスンダ海峡の島で組んだ水が悪かったか赤痢も蔓延し、季節の貿易風の高熱蒸気にやられマダカスカルまでの2ケ月で36人が死亡していったそうだ。
クックは都合3回の航海をやっており、上記は第1回の下巻のうちの最後の方だけで翌1771年7月にドーバー海峡にたどり着いているが、下巻の前編は豪州上陸、ニュージーランドのクック海峡発見や豪州とニューギニア分離の発見あるいはグレートバリアリーフ座礁の苦闘などがこの南方大陸を探す第1回航海のハイライトである。
この船エンデバー号は397トン、全長32メートル、94人乗りだった。その後復元され今シドニー港に繋がれている。

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