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2016年10月19日 (水)

オランダ・台湾・日本

オランダが日本にやってきたのは歴史教科書の通り1600年のリーフデ号で貿易が始まったのは1609年平戸のSpecx商館長の時でこの商館長は後バタビア商館長にもなりバタビアの華僑カピタン から贈られたバタビア地図入りメダルが有名である。

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その前にイスパニアは薩摩にポルトガルは長崎に来ていたが何れもカトリックの布教の故に放逐され1613年参加したイギリスも1624年に撤退していたが日本の商人達も多く台湾などに進出していた。オランダは特に日本との貿易の為台湾を目指し1623年澎湖島に商館を建築していたが対岸の厦門の福建総督より許可が得られず翌年ここより敗走、現在の台南市にゼーランジア城を築き拠点としたがここはその後1661年、日本との混血の明の遺臣鄭成功により滅ばされ台湾を去ることになる。この当時台湾(南部)はタイオワンとオランダは呼んでおり、日本との関係でもタイオワン事件が歴史に残っている。事件は1628年に長崎代官の末次平蔵とオランダ台湾行政長官ピーテル・ノイツとの間で起きた紛争でことの発端は末次の部下の商人浜田弥兵衛がオランダの課金に抵抗し最後はノイツを組み伏せ日本に拉致した。いろいろ経緯もあったが最終オランダ側が家光に深謝することでノイツは5年ぶりに釈放される。その間にノイツの息子は日本で病気で亡くなり平戸の追悼碑文に名前がある。

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