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2017年1月24日 (火)

スラバヤ古郵便局2題


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スラバヤで思わず撮った写真の一つに郵便局がある。ネットで写真だけで探して見るとちゃんと引っかかって来た。それはKantor Pos Simpang Surabayaとある。窓や廂の特徴から特定できたのであるが場所はスルヨ知事通りである。と言うよりその向かいは広大な知事官舎であるので、スルヨ知事が住んでいたのであろう。ここもダーンデルス総督時代からあった歴史は古いが、建物は1932年築で設計W.Lemeiである。
インドマルコの月刊誌の表紙を飾った別の物もある。こちらはKantor Pos Besar Surabayaである。Besar というから中央かと思うがそれは別にある。
こちらも歴史的保存遺産に指定されている。インドマルコの表紙説明には以下のごとく書かれている。 

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写真は一時紛失中でこれはサイト借用。
「東ジャワ州スラバヤの郵便局本局の内部。オランダの建築家G.J.P.M.ボルシウスの設計で、1926年から1928年にかけて建設された。これより前この地には、1881年までスラバヤ県知事事務所兼官邸が建ち、その後それは1926年に現在の建物の建設が始まる1926年まで、オランダ人の子弟らが通う学校HogereBurgerSchoolとして利用された。同学校には、後にインドネシア初代大統領となるスカルノも通っていたという(1915-20年)」
場所はKebon Rojoなので郵便局はPos Kebon Rojoともいわれる。上のSimpang Surabayaより西に2km北に3kmと言う関係でスラバヤ駅の近くである。
少し付け加えると日本占領時も郵便局として使われたがオランダが再占領にやって来た時ここは連合軍の司令部としてもつかわれ、あの「英雄の日」を越えて奪取に成功した。内部に犠牲となった二人の画像があるようだが文章では日本からの奪取時に起こったかの如くである。
この混乱時郵便局業務はSimpangの方に移管された。 現在Simpangの方の前庭(施設の一部か)はコーヒーショップとして使われている。多角化経営であろうかCoffee Toffeeのブランド?でいくつか展開している。


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