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2017年1月の投稿

2017年1月30日 (月)

ジャカルタ古郵便局のカフェ

スラバヤのsimpang郵便局はCoffee Toffeeの副業を始めていたがジャカルタではどうであろう。一度ホテルを開業する計画のニュースはあって気を付けて見ていたのであるがそれは未だない。或いはそれはHermitage HOTELだったのであろうか それよりコタトゥアのファラテハンの郵便局のそばでカフェが出来た話がジャカルタ新聞にでていたが、小生の「ファラテハンに憩う」と言うファラテハンのカフェレスト特集記事の時はまだ開業できておらずジャカルタ新聞で知った次第である。新聞では正面の左側にKedai Posと言う店、そして右にも屋台的マーケットがあるとでている。
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Kedai Posはフェースブックを持っており、夜の写真は涼むのにぴったりに見えるので借用したが、郵便局の内部までこのkedaiのスペースがある写真もあり別の入口は昔はなかったので不思議だ。


その後結局そこに近づく事が出来なかったので昔の正面の写真と内部の写真(立ち位置が内部レストか)でごまかそう。

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Googleで見るとちゃんとこのKedaiは写真付きででている。その速さには驚いたが、小生が車で近づこうとした時は気づかなかったが、この郵便局の裏側のビルの端から入る道があり、そこにはJalan Posと書かれている。郵便局の裏の道(Kali Besar Timur III/Kunir)側にはキューケンホフ・レストランがありその横にTigergrachtとでていたので、別のブログでこの道はオランダ時代Tigergrachtと呼ばれていたとした道である。Jalan Pos辺りも駐車は出来そうではなかったのだが。。。
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2017年1月28日 (土)

移転価格税制の新しい文書作成義務


インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 12月号は、OECDの動きに対応した欲張り法令の移転価格文書化義務法令を要約しています。その他特許法、廃棄物管理法も完結します。新しいルピア通貨に飾られたインドネシアの偉人達もしりましょう。
その他、この月刊誌は会計、税務,、貿易、金融、産業、経済、企業 政治等のインドネシアで経営する企業が関わる全ての分野の重要法令など満載しています
月刊誌の購読の他、毎週法令ニュースなどをE-mailでお届けするサービスもあるので、是非ご連絡ください。 他に会社運営に必要な会計記帳・経理指導、税務計算申告代行、投資関連許認可・変更事項の法務セクレタリ-なども個別フイーにて提供しております。どうぞご利用ください。
詳しくはウエブサイトwww.indonesialink.net/indomalco/或いはメールアドレスrisa@indomalco.com又は kitamura@indomalco.comに照会下さい。 

1. 今月の経営情報・事例研究 枚 頁
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 3 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   6 5
  3 ) インドネシアの 「会計原則 211 ~リースの会計 1 」 4 11
  4 ) インドネシアの OECD対応移転価格文書化義務 4 15
  5 ) インドネシアの 鉄鋼・合金鋼一時輸入規制の更新継続 4 19
  6 ) インドネシアの 老齢保障プログラムにおける追加サービス給付 3 23
  7 ) インドネシアの 地方税の一般規則と徴収方法 4 26
  8 ) インドネシアの タイヤの輸入規制 3 30
  9 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 2 33
  10 ) インドネシアの インドネシアでのビジネスリスクと経理リスク 3  2 35
  11 ) インドネシアの 林業製品の輸出規制 アップデート 3 37
  12 ) インドネシアの 投資環境トピックス2016年 7 40
  13 ) インドネシアの 廃棄物管理法 その3   3 47
  14 ) インドネシアの 経済指標 2002~2016年 3 50
  15 ) インドネシアの 特許法の改定 その3 3 53
  16 ) インドネシアの 外国人による社会団体の設立 4 56
   
2. 今月の政治・経済情報      
  1 ) 2016年12月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 3 60
  2 ) 2017年1月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 4 63
  3 ) 物価・貿易統計2017年1月発表 メール配信 1 67
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 「明日の街角133~世界の潮流の変化ー現実に向き合う」  橋本政彦 3 68
  2 ) 「2017年を迎えて」 広沢 勉 2 71
  3 ) 「新ルピア通貨デザインの英雄達 その1」 西見恭平 7 73
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2016-2017トレンド メール配信 2 80
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 82
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 83
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。  00_bali_cover_foto_jan_2017
 
表紙写真:バリ島中央部ブドゥグルのブラタン湖畔に建つヒンドゥ寺院PuraUlunDanuBratan。歴史的資料の記述から寺院は1633年ごろの建立とする説が有力だが、付近から出土した遺物より古くから聖地であったことが推察される。11層の塔はシバ神とその妻パラバティに捧げたもの。現在もヒンドゥ祭事が盛大に行われ、多くのヒンドゥ教徒の信仰を集めている。

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2017年1月27日 (金)

スマラン古郵便局

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郵便局と言えばスマランでも撮った写真がある。こちらもスラバヤと同じ通りすがりに撮ったものであるが、インドネシアの郵便局は日本の郵便ポストではないが赤を基調にしたコロニアル風建築様式が多いので目を引く。且つ多くは歴史遺産としても保存されているが、郵便は鉄道と共に近代の夜明けの象徴であったのである。場所は青年の塔から北に向うPemuda通りのJohar地区にあるのでKantor Pos Joharと言う。この地区はKota Lamaで町の発展で中心から外れるといわれるが、Googleで見て思い起こすと広くて明るい通りで近くにMenara Syahbandarと言う港湾監視タワー橋があり更に北に行けば Greja BlendukのあるSuprapto通りでこの一帯の町並みには惚れ惚れする。

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この教会の近くのSrigunting公園をアップしよう。この郵便局は1862年J.P.Theben?の郵便制度発足と同時にこの地に建てられたようで、監視塔のある河には船が発着する賑やかな場所であった。この橋はJembatan Berokと言う名前でBerokはオランダ語で橋という意味らしい。
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更に郵便局の向かいに日本橋のゼロ起点でもないが その道標(Tugu Titik Km0 )がある、将に中心であったのである。こうした町づくり含め オランダの設計家のThomas Karstenの功績である。パーキング不足もあり、現在はショッピングの中心はSimpang Limaの方に移ったが、Google Mapを閉じるのに思い切りが必要だった。

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2017年1月24日 (火)

スラバヤ古郵便局2題


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スラバヤで思わず撮った写真の一つに郵便局がある。ネットで写真だけで探して見るとちゃんと引っかかって来た。それはKantor Pos Simpang Surabayaとある。窓や廂の特徴から特定できたのであるが場所はスルヨ知事通りである。と言うよりその向かいは広大な知事官舎であるので、スルヨ知事が住んでいたのであろう。ここもダーンデルス総督時代からあった歴史は古いが、建物は1932年築で設計W.Lemeiである。
インドマルコの月刊誌の表紙を飾った別の物もある。こちらはKantor Pos Besar Surabayaである。Besar というから中央かと思うがそれは別にある。
こちらも歴史的保存遺産に指定されている。インドマルコの表紙説明には以下のごとく書かれている。 

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写真は一時紛失中でこれはサイト借用。
「東ジャワ州スラバヤの郵便局本局の内部。オランダの建築家G.J.P.M.ボルシウスの設計で、1926年から1928年にかけて建設された。これより前この地には、1881年までスラバヤ県知事事務所兼官邸が建ち、その後それは1926年に現在の建物の建設が始まる1926年まで、オランダ人の子弟らが通う学校HogereBurgerSchoolとして利用された。同学校には、後にインドネシア初代大統領となるスカルノも通っていたという(1915-20年)」
場所はKebon Rojoなので郵便局はPos Kebon Rojoともいわれる。上のSimpang Surabayaより西に2km北に3kmと言う関係でスラバヤ駅の近くである。
少し付け加えると日本占領時も郵便局として使われたがオランダが再占領にやって来た時ここは連合軍の司令部としてもつかわれ、あの「英雄の日」を越えて奪取に成功した。内部に犠牲となった二人の画像があるようだが文章では日本からの奪取時に起こったかの如くである。
この混乱時郵便局業務はSimpangの方に移管された。 現在Simpangの方の前庭(施設の一部か)はコーヒーショップとして使われている。多角化経営であろうかCoffee Toffeeのブランド?でいくつか展開している。


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2017年1月23日 (月)

NNTはNTTでなくNTBに

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100ルピア・コインのヘルマン・ヨハネスの出身はヌサ・テンガラ・チムール(略してNTT)州である。バリからニューギニアの手前の諸島を小スンダ諸島と言いバリ島の除くヌサ・テンガラを東西に分けた東側で大きな島ではフローレス、スンバ、西チモール(東はチモールレスタリ国)がありその他、中クラスの有名どころはコモド、ロテ、アロールなどがあり、首都はクーパン(西チモール)、人口5百万の州である。
スカルノが流されたエンデ(フローレス島)もある。NTTと混同するのがNNT Newmont Nusa Tenggaraであるがこれは隣のNTB州にあり、住友商事が産金権益をシェアーしている。各州の写真を撮るならミニ・インドネシアに行けばいいが、そのNTT館の写真を借用。


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2017年1月19日 (木)

マランは年中避暑地

Wikiのマラン記述はすくないが、インドネシア専科には「148高原のマラン市」と言うペイジがある。
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オランダ時代はジャワのスイスとも言われたらしい。今地図を見るとこの周辺はインドネシア名山がいくつもある。地図から見るとお椀をかぶせたような形で独立したのが多い。ジャワで一番高いのがスメール3676m(富士山は3778m)、後ろにブロモ2800m、更に東の端のバニュワンギにはラウン3,400m、昨日のセレクタの南がKawi2,676mと北にアルジュナ3,339mとウイリラン3,156mがある。 低地より450mの高原地帯はコーヒー、ゴム、砂糖などの栽培に適し多くのンオランダ人が開拓し避暑地ともなった。1870年代である。

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市センターが建設されたのは1914年、ブランタス運河のそばである。そして今はジャワ4番目の百万都市となった。のんびり住んでみるのもいいだろうが、退職者 ロングステイを考えることもなく今日まで来てしまった。50肩もCOPDも治るのではないかなぁと今更思う。山の写真はpaketkarimunjawakitaからsublease、市役所は旧同僚ソフアットさん、ブロモにのぼったのですね


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2017年1月18日 (水)

マラン セレクタ

マラン(Malang)は、インドネシアの東ジャワ州の州内第2位規模の都市である。 州都のスラバヤから南に90kmの距離に位置し、ブロモ山観光の拠点となっている。ウイキにはこの程度の記述である。

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しかしマランはオランダが避暑地として建設した町で、今でもコロニアルの高原都市として風格を残している。日本が占領した時代でも日本の軽井沢と比べる町として知られ軍はここに部隊を設営した。その手前のラワンも既に別荘地でもあったがマランから少し北の郊外のセレクタ(バトウ村)は3,000メートル級のアルジュナ山とカウイ山の間に挟まれた桃源郷と言われた、ホテルだけの土地であった。 当時ここに色々事業で財を成したデヨングと言うオランダの名士が大きな別荘を作り老後をバトゥ村の村長などして送っていたが、日本占領時、多くのオランダ人も避難で集まって来た混乱もあり、日本軍に抵抗準備罪(?)として処刑させられたという。その人が作ったのが今も残っているこのセレクタホテルであったのであろうか。 現在のホテルは新館もあるのであろうが1930年来営業している。しかしその名残を探すのはむつかしいようだが、日本とかかわりがあることは知っておいてほしい。知る人は知るがホテルが続いている証拠であろう。写真は hotel.malang.comから借用 Wonderful View!

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2017年1月16日 (月)

新英雄シャムスル・アリフイン


昨年の英雄の日の叙勲は何の報道にも出会わなかったので調べるとちゃんと選定されていた。一人だけでAsad Syamsul Arifinと言う。NUの導師でシトボンドのプサントレンを創立運営しながらNUの顧問を務めた人で、東ジャワ出身、1897年生まれ、没は1990年である。
NUの創立に際しHasym Asyariにコーランの章節を伝える役目とか、スラバヤの戦いの節目には重要な働きをしたものと思われる。Wikiには民族の統一と団結そして独立の為に戦ったと評している。聞いたこともない名前なのでNUについて後で調べよう。
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2017年1月13日 (金)

ロア・マラカの歴史

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カリブサールの西側、昨11月ごろのイスラムのデモで略奪が起こったジャラン・パンジャンとの間は、郡で言えば、Kec. Tamboraでその中の町にKel. Roa Malakaがある。コタ・トアの崩壊建物のリストがあったが、ここRoa Malaka地区には13もの建物が出ていた。

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その一つはその建物に樹木が喰い入り逆に崩壊を支えているのは昔ブログにアップしたことがある。ロア・マラカの通りはBIの所からカリブサールに入ってくるジャラン・バンクをそのまままっすぐ行く道がJl. Malakaでありそれを交差する道がJl. Roa MalakaでそれがMiddelpunt(?)橋からくるジャラン・コピとまた交差する迄がJl.Roa Malaka Selatan、交差して北に行く道がJl.Roa Malaka Utaraである。十― と言う形になろうか オランダ時代の名前はJonkersgrachtヨンケルス通りと呼ばれた。 崩壊建物は13もあるがすべて放置されて(kosong)おり、名前もないので一つ一つ訪問し訪問記を書く材料もない。ただこの地区はジャガタラお春も住んだことがある古い町である。その名前もその昔ポルトガル領であったマラッカ(Malaka)道路(Roa)から来ている。1641年オランダはポルトガルの最後の拠点マラッカを陥れ、マラッカ総督含め捕虜をバタビアに連れてきて、プロテスタン改宗したものはこの地区に住まわせた(Tuguの前)ことがあったようだ。マイデルケルー>ムルデカにつながる話だ。


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2017年1月12日 (木)

カルビス大学 Kalbis Institute

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昨日のジョヨボヨ大学の写真は、つい隣の、より大きなビルまで映っていたがこれも大学でKalbisと言う。ビルにKalbis Instituteとある通り大学の中のInstituteというカテゴリーで有名どころはITB  バンドン工科大学Insititute Technology BandungやIPBボゴール農科大学Institute Pertanian がある。看板の下半分にManaged by Bina Nusantaraとある通り、ビジネス・マネジメント分野でその誉高い大学BINUS系である。若い大学で1992年設立で華人の名前もでているのでBINUS共々華人系ではないだろうか。最初はSTIE KALBEと言う名前でD3 Keuangan/Perbankan とD3 Akuntansi.のScholah Tinggiであったが、D3 Manajemen Perusahaanを加え更にS1 Manajemen とS1 Akuntansiを加えて更に.これのS2コースを加え一旦名称もSTIE SUPRAと称していたがS1 Teknik Informatikaの兄弟会社と統合Institute Teknologi dan Bisnis KALBE (ITBK)を経て2011年BINUSと提携しKALBIS Instituteと改称、この学舎もその2012年に建設なり、8,000人の学生を収容できるようになっている。まだ小生にはなじみはないがIndomalcoの専門分野をカバーしており人材も豊富だろうと思いブログにした。写真のまた左隣りは三菱扶桑である。

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2017年1月11日 (水)

ジョヨボヨ大学

ヤニ将軍通りをチャワン方面に下ってくるとき左手にあるムプ タントゥラル大学について書いたのはもう3ケ月も前になるが、その時、その手前にも同じような大学があるのを気づいていたのであるが今日自分のアルバムに写真を見つけることが出来、こうしてブログに取り上げた。
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当時毎週通ったプロマスゴルフ場の近くにあるジョヨボヨ大学である。ゴルフ場から帰りにヤニ大通りに左折するすぐ手前で左折するJalan Pulomas Selatanの Kav 23にある。写真では右側のビルである。
或いはジャヤバヤと読ませるのかもしれないがジョヨボヨと言えば日本軍がインドネシアを開放に来ると引っかけたインドネシアの伝説の予言集を書かせた王の名前がジョヨボヨなのである。ムプ タントゥラルを復習すると14世紀のマジャパヒット王国ハヤムウルック王時代の詩人であった。ジョヨボヨはその前のクディリ朝の後期の王である。
この大学は結構古い私立大学で1958年設立である。といっても設立時は法学部と経済学部で学生数11名と言うから笑わせる話であるが現在は8学部あるUnivを名乗る総合大学である。 大学にはInstituteとかSkolah TiggihとかAkademiとか種類が多いが 東京と比べるとその数は倍はある。

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2017年1月10日 (火)

Essence ダルマワンサ Buntu

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ジャカルタは南からブロックM方面に戻るときはアンタサリ通りを北上するがそのクマンヴィレッジ辺りで左折しダルマワンサに向かう道の左手に大きなコンドミ群と出会う。入口には守衛が立ち、自動的に右手に排除されるが正門にはEssence Apartmentと表示され30階建てのビルが2棟、すぐ後ろに同様2棟、左手に同様高層のホテルが2棟がある。このオーナーが不明で撮った写真の使いようがなかったが、かろうじてデベロッパーはPT Prakarsa Semesta Alamとは分かった。更に親会社はSALIGADING BERSAMAであり Harxxとか関係ありそうだがそれ以上はわからない。何故隠すのかよくわからない。
ただこの物件の開発思想はあのフランク・ロイド・ライトの哲学に学んだようで色々ファシリティも十分で環境も良い。そういえばアンタサリ通りの北はプラパンチャラヤでクマンに曲がる所から名前が変わるのかと思ったがプラパンチャラヤはそこで途切れず右に添っていく道になる。昔そこらあたりがジャカルタの開発南端だと思っていたのでみどりは多い。たしかPrapanca Buntu(行きどまりの意味)と言う地区名を覚えている。

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2017年1月 9日 (月)

12月 投資環境トピックス

1. 石油生産に自信
石油日産量が改善、目標82万バレル越え。16年28の油田開発計画を承認、17年石油ガス川下投資計画130億ドル、16年より7%増、歳入減となるOPECを再び脱退。
2. 明るい未来は経済成長と競争力見直し
12/15 世界経済停滞の中イは中印に続き経済成長率では世界3位を維持と財務相
12/17 デロイトのグローバル製造競争力ランキング、イは19位、トップは中米独日韓
12/21 11月の訪日イ人2.19万人、1~11月は前年同期比30.9%増の23.01万人
12/29 2016年のコメ生産(籾)7,900万トンで目標達成、14年の7千万トン以降順調
12/30 株価指数5,296.71ポイントで2016年の取引終える、年初から15.32%上昇。
3. イスラム過激派との闘い強化
12/2  政府転覆や大統領侮辱容疑で10人逮捕、政治家、ミュージシャンやメガ妹
12/12 大統領宮殿爆破計画容疑で計7人逮捕と警察。
12/19 ムスリムのクリスマス・デコ使用禁止:イスラム指導者評議会(MUI)のファトワ
12/21 タンゲランでクリスマス・テロ計画容疑者ら摘発、3人射殺、4人逮捕。
12/23 未成年のテロリスト・リクルートに注意:2016年は18歳未満 参加者5人逮捕
12/25 年末年始にテロ計画していた疑いの2人逮捕、2人射殺、プルワカルタ。
12/26 ISとの関係疑われてトルコから強制送還されたイ人2016年は計220人超
12/28 射殺などで死亡したテロ容疑者2016年は計33人、170人逮捕:国家警察。
4.ちょっと記録のみ
12/12 ホンダ、グラブに出資。
12/14 リンガーハット、ジャカルタに1号店。
12/7  アチェでマグニチュード6.5、100人死亡、避難者8.4万人(12日時点)。

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2017年1月 6日 (金)

日蘭韓の中央駅

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蘭印の画家 エドワード・カイペルスの叔父もネオゴチックの大御所だと説明したが叔父の名前はPetrus Josephus Hubertus (Pierre) Cuypers(1827 –1921)でペトゥルス(或いはピエール)カイペルスと言うが代表作はアムステルダム駅舎と国立博物館Rijksmuseumである。この二つはよく似た豪壮・洗練さがあるが、
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これをお手本にした設計がソウル中央駅である。当時朝鮮京城には駅らしい駅もなかったので統治していた日本は東京駅に次ぐ立派な駅を作るものとして塚本靖に設計させた。完工は関東大地震もあり若干遅れたものの1925年にオープンした。
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東京駅にも似ているといわれるがアムス中央駅はネオゴシック様式であるが、東京駅はビクトリアン様式である。戦後反日に固まった韓国ではあるが、この文化薫るゴチック伝統美を遺産として残すことになり韓国文化庁が遺蹟第284号として保存している。感心だ。

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2017年1月 5日 (木)

今年は火の鳥

今年の干支は「丁酉」らしい。この読みは「ひのと・とり」であるが、5行陰陽(十干?)と12支の組み合わせであるが、12支はわかるが十干は「木、火、土、金、水」の五行それぞれに兄(え)/ 陽と弟(と)/陰に分け例えば木の陽は木の兄(きのえ)と木の弟(きのと)とすれば10個出来、それに「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸」の漢字を当てている。だから丁は4番目で火の弟(ひのと)である。
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つまり今年は「火の鳥」になるが、たまたまテレビで手塚治虫氏の漫画「火の鳥」の論評番組にチャンネルが会った。小生にとっては恥ずかしながらこの「火の鳥」は記憶にもない。多分学生時代は漫画忌諱時代であり、その後は日本の外を向いていたためであろう。テレビの各氏の論評に実感がなく、早速サイトで購入を検討した。「火の鳥」は手塚治虫氏のライフワークで1954年から始まり氏の没年1990年まで漫画、映画、舞台などで続いたストーリーで講談社の全集で言えば386巻、それが例えば黎明編、ギリシャ編、鳳凰編、復活編、乱世、望郷。。と20巻近くに展開され、世界・日本の歴史の題材を用い、過去と未来を絡ませ、宇宙の中の運命の輪廻を描くとでもいうのか、あとは買って読むしかないがアマゾンでは1冊790円で、なぜか発送は1月15日から2月5日迄と確約されていない状態である。ヤフーオクにもあったが古本だったので400円程度で入れてみた。こちらもいつになるやら、これは火の鳥の年の現象なのだろうか。


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2017年1月 4日 (水)

Jasindo その4 設計家Cuypers派

ファタヒラー広場のGedung Jasindo の設計はAA Fermont and Cuypers Bureauと紹介したが後一人Marius Hulswitを加えた3人の設計者はよくパートナーを組む設計事務所のようである。
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彼らの名前が出る建築は90以上もある。
バンドン、スマラン、スラバヤ、メダン、マラン、ジョクジャ、チレボンでも多くあるがバタヴィアだけでも十数件数えることが出来た。
Eduard Cuypers (1859-1927) は本国でネオゴチックの大御所P.J.H. Cuypersの甥であるが彼の事務所はネオ・ルネサンスのアムステルダム・スクールと呼ばれ多くの画家を育てている。

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アムステルダムではHertogenbosch駅舎やVeendam 駅舎があるがバタヴィアではウィキペディアではEscompto Maatschappij、Kimia Farma、Bank Indonesiaが挙げられていた。
BI (Jawasche BankはバンドンもHulswitと一緒である。彼のjuniorも叔父のjuniorも画家であるのでCuypersだけでは特定できない。


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2017年1月 2日 (月)

行徳物語 その7 豊受神社

2017年も何もしなくても蕎麦が出て来、一寝入りの後、御節とお屠蘇も出てきて、迎えることはできた。フェースブログに賀状をアップすると画像が逆さまになる。生まれて初めてのことであった。
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諦めて初参りに行く。
近くで一番大きいお寺が徳願寺、ここでふるまいの般若湯を頂き、そこから100メートルの豊受神社に回りお神酒を頂く。豊受姫は食べ物の神だそうだが、食べ物だけは今のところ不足はない。引いたおみくじは小吉で、“ひとかたに なびくと見せて青やぎの ゆくえ定めぬ ひと心かな” とある。いろごとになびくこともあるまいと思う。

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おみきの上撰で上機嫌と言うところで賀状いくつかをメールで送ることにした。この神明社は徳を行う法印様が一説1527年に建立したといわれ、この地の300あるといわれるお寺で一番由緒のあるお寺である。


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2017年1月 1日 (日)

つづき

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「2017.docx」をダウンロード

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あけましておめでとうございます。

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