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2017年1月13日 (金)

ロア・マラカの歴史

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カリブサールの西側、昨11月ごろのイスラムのデモで略奪が起こったジャラン・パンジャンとの間は、郡で言えば、Kec. Tamboraでその中の町にKel. Roa Malakaがある。コタ・トアの崩壊建物のリストがあったが、ここRoa Malaka地区には13もの建物が出ていた。

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その一つはその建物に樹木が喰い入り逆に崩壊を支えているのは昔ブログにアップしたことがある。ロア・マラカの通りはBIの所からカリブサールに入ってくるジャラン・バンクをそのまままっすぐ行く道がJl. Malakaでありそれを交差する道がJl. Roa MalakaでそれがMiddelpunt(?)橋からくるジャラン・コピとまた交差する迄がJl.Roa Malaka Selatan、交差して北に行く道がJl.Roa Malaka Utaraである。十― と言う形になろうか オランダ時代の名前はJonkersgrachtヨンケルス通りと呼ばれた。 崩壊建物は13もあるがすべて放置されて(kosong)おり、名前もないので一つ一つ訪問し訪問記を書く材料もない。ただこの地区はジャガタラお春も住んだことがある古い町である。その名前もその昔ポルトガル領であったマラッカ(Malaka)道路(Roa)から来ている。1641年オランダはポルトガルの最後の拠点マラッカを陥れ、マラッカ総督含め捕虜をバタビアに連れてきて、プロテスタン改宗したものはこの地区に住まわせた(Tuguの前)ことがあったようだ。マイデルケルー>ムルデカにつながる話だ。


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