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2017年2月17日 (金)

南アは今、クイズ知識をどうぞ

IORAの南アフリカと言えば今では死語になったようなアパルトヘイトの国であったがあれは支配権がオランダからイギリスに移りボーア戦争などをへたあと1910年英連邦自治領になってから始まりその後、イギリスのアパルトヘイト非難で連邦を離脱し共和国となった1964年から更に激しくなり1994年マンデラ大統領が連邦復帰するまで激しさを増していた丁度その中で友人がヨハネスブルグに赴任したことを思いだす。そんなこんなで南ア関連ではクイズの種は多いなぁと感ずるままにwiki知識を綴って見よう。
そのヨハネスブルグは人口8百万の最大の都市に変わりわないが首都は機能別に三つに分かれ行政はヨハネスの北55㎞のプレトリアに、立法はケープタウン、司法はブルームフォンテーンに分散させている。 ヨハネスは内陸都市で連邦離脱後の混乱で荒れた都市になっている。ブラジルの犯罪も、時代遅れの日本の報道でやっと有名になったが、南アの殺人犯罪率は日本の110倍である。英蘭のおかげで高級リゾート地になり或いはFIFAワールドカップで有名になったダーバン(第2の都市)ですら観光客襲撃事件が多発している。
マンデラが選挙で大統領にえらばれてイギリス連邦と国連に復帰し新憲法も制定した。
アパルトヘイトの為貧困と犯罪は、その後教育が一巡して行くにつれ改善を見ているが民族対立、極左過激派テロ、レイプ、ヘイズ問題は尚深刻のようだ。 HIV感染率は成人で2割を超え、逆にレイプを生んでいる(た)。
中国では50万人もいたHIV患者は研究所によれば漢方薬で鎮静化しているニュースがインドネシアで流れたがインドネシアではどうであろうか。
南アとインドネシアの関係では、昔オランダが連れてきたインドネシア人奴隷とボーア人の混血子孫が大分いるようだがそれで親近を覚える必要はない。 ポルトガルがインドネシアに連れてきたアフリカ人は北アフリカのムーア人である。
小生が若い現役時代は日本もインドネシアも貿易禁止の経済制裁を科していたことを思いだす。その理由はアパルトヘイトであり、核保有でもあった。何アは1991年に共和国最後の大統領デ・クラークが全ての各弾道を破壊したが、それはソ連・キューバからの南ア抹殺からの撤退(冷戦終了)と黒人への政権移譲(黒人不信)が理由であったと言われる。 北朝鮮は何が怖いのであろうか
上記5都市は外務省では危険度 レベル1(十分注意してください)であったがジャカルタもレベル1であった。 なんのこっちゃい。 いやいや当然かも。
ジャカルタには南アゆかりの物はないがクラパガディン地区にアフリカ料理店位あるかも。
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