ジャワのタントゥラル
ジャカルタの「大学のムプ タントゥラル」を昨9月にブログした後、先日スマランのコタ方面の地図をぶらぶらしているときムプ タントゥラル通りを見つけた。あのMberok橋からGreja BlendukのあるSuprapto通りに入る前に左に道を取ればその道である。少し行くとスマランバティック協会の建物がある。1906~7年築らしい。
他に古びた建物のDjakarta Lloydがある。1870年代から海運業をやっていたオランダの NV Stoomvaart Maatschappij Nederland (SMN)が所有していたもので国営ジャカルタ・ロイドが接収したものであるが、SMNはその後合併などで現在の Nedlloydになっている。この建物は当時の名匠Henry Thomas Karstenの設計である。
そして更に驚くタントゥラールとの邂逅は月刊誌「インドネシア企業経営」の表紙を飾ったスラバヤの旧Mpu Tantular博物館である。社長の兼松さんの寸評では「ドイツ人Von Vaberよるスラバヤ歴史コレクションに始まったもので、1933年の設立。Mpu Tantularは、14世紀に東ジャワに栄えたマジャパイト時代を代表する詩人の名前。」とあった。
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