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2017年2月 7日 (火)

ジャワのタントゥラル

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ジャカルタの「大学のムプ タントゥラル」を昨9月にブログした後、先日スマランのコタ方面の地図をぶらぶらしているときムプ タントゥラル通りを見つけた。あのMberok橋からGreja BlendukのあるSuprapto通りに入る前に左に道を取ればその道である。少し行くとスマランバティック協会の建物がある。1906~7年築らしい。

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他に古びた建物のDjakarta Lloydがある。1870年代から海運業をやっていたオランダの NV Stoomvaart Maatschappij Nederland (SMN)が所有していたもので国営ジャカルタ・ロイドが接収したものであるが、SMNはその後合併などで現在の Nedlloydになっている。この建物は当時の名匠Henry Thomas Karstenの設計である。

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そして更に驚くタントゥラールとの邂逅はなんと弊社の月刊誌「インドネシア企業経営」の表紙を飾ったスラバヤの旧Mpu Tantular博物館である。
此方は弊社の社長の兼松の写真であるので小生の記憶は薄くなっていたものだ。彼女の寸評では「ドイツ人Von Vaberよるスラバヤ歴史コレクションに始まったもので、1933年の設立。Mpu Tantularは、14世紀に東ジャワに栄えたマジャパイト時代を代表する詩人の名前。」とあった。

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