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2017年2月12日 (日)

Soemantri Brodjonegoro競技場


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ジャカルタ市長選も目前に迫ったが最後のキャンペーンの報道でAgus-Sylvi,組がクニンガンのスマントリ・ブロジョネゴロ競技場で行われたことを知ったが、多分ユドヨノも出ていたのだろうか5万の人を集めたらしい。1月末にはAnies-Sandi組もここでキャンペーンをやっておりプラボウォが応援していた。

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ここは市が保有しているので公共施設であるが、バクリーが10年契約しているとも聞こえる。バクリーのラスナサイドアパートやエピセントラムとも隣接したPassar Festivalにある。ここのスポーツクラブ&バー アフロデテの後ろ側にある。 

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ここにはよく行ったがこのグラウンドはいつもひっそりしていた。裏は運河に沿った道がこの競技場を囲んでいるがここを往来する人はいない。最近はサッカーリーグなども行われているが入口は渋滞のラスナサイドの正面側だけである。 トラックも設備されているのでアジア大会などもここで何かできそうだがその先は知らない。
ここの名前は正確にはGelanggang Olahraga Mahasiswa Soemantri Brodjonegoroと言う。学生スポーツの名前が行っているがサデキン時代のGORの流れであろう。固有名詞のSoemantri Brodjonegoroはスハルト時代の教育大臣や鉱山大臣(67~73)などを務めたが47歳で亡くなった(1973年)教育家でもある。UIの学長を最年少(39歳)で最長の9年間勤めている。


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