« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月の投稿

2017年4月28日 (金)

口あんぐりのGedung Rajiman

00_gedung_rajiman

インドネシアの国家英雄でもないのに、それも財務省内の建物に名前を残すなんてと驚いているのはRajimanさんだ。日本の当地ビジネス界で少し知られているRajimanさんでなくRadjiman Wedyodiningratさんだがningratとつくからインドネシアの貴族であり 正式な名前はDr. Kanjeng Raden Tumenggung (K.R.T.) Radjiman Wedyodiningrat (1879~1952)である。驚きはこの名前は財務大臣など財務省とも関係なくあまり記憶にないが、彼はブディウトモの創設者の一人であり、又独立準備委員会BPUPKIの委員長であった。
そして建物とは住友のSummitmasの並びのビルでこの間のWidjojo Center(現在名はSequis Tower)の横のPajak Sudirman(Sudirman No.56)である。
00kpp_bursa

ビルには何が入居するかであるがカンウィルと大口税務署や上場企業税務署など6税務署が入る。つまりここにはこのビルが建つ前は上場企業税務署があった所でいつの間にか高層ビルに建て替えられたものである。 立て替えの為取り壊された建物は1973年築のこのようにきれいな建物であったので惜しいことをしたものだ。

00ged_sudirman2014
小生は新しいのこのビルはSummitmasの隣のビルと混同していた。形状もよく似ているし名前もSudirman Tower(Sudirman No.60)と似ていたのだ。
それにしても前回はこの1月のGedung Marie Muhammadであったが今回はこのGedung Radjiman Wedyodiningratで3月31日の年度滑り込みである。財務省が推進する財務省内偉人などの名前をビル等のつけて顕彰するのには何かほかに意味があるのだろうが、外国(法)人に関係するお役所にこのように馴染みのない名前を付けられると外国人の来訪を拒否しているのではないかとさえ感じられる。道路の名前とでも思って受け入れるしかない。


| | コメント (0)

2017年4月27日 (木)

輝けるRadius大臣

00_daandeles_maramisc_c

バンテン広場奥の旧ダーンデレス宮殿はEKUINの本部だった記憶は1990年代初めここのラデゥウス大臣をお偉方が訪問するときに付いて行った記憶があるからである。Dr. Radius Prawiroは1993年にEKUIN(経済・財務・工業担当)大臣を退任するまでスハルト政権を支えた大臣といえようか まず1966年(~73年)インドネシア中銀総裁、1968年大統領経済顧問団、1973年商業大臣、1978年中小企業・組合大臣を兼任、83年財務大臣、そして88年経済調整大臣(現在の呼称)を間弾なく務め2005年ミュンヘンで76歳で病死している。彼もバークレイの一人かと思っていたが、彼はオランダ法科大学のあとに同じFEUIに帰ってきていただけであった。彼の財務大臣はAli Wardhanaの後を受けそしてSumarlinに後を継いだので前後をバークレイ組に挟まれていたのでバークレイ格である。
00departemen_keuangan_baru_08_061

彼の名前を冠した建物は新財務省側で噴水を前に最初に立った(?)建物で現在は財政均衡総局のビルとなっている。

小生の日本で住んでいる近所にRadieuseラディウスというコンドミがあるので見るたび思いだしていたが、此方は半径の意味でなくフランス語で輝くという意味らしい。モダニズムの建築家、ル・コルビュジエ(国立西洋美術館などが世界遺産となった)が提唱した理想都市の構想「輝く都市(La Ville Radieuse)からのようだ。

ラディウス大臣はWardhana大臣と同じ1928年生まれ、51年まで軍役に付き60年から会計監査部門から経済官僚に入っている。


| | コメント (0)

2017年4月26日 (水)

BAPPENAS が Widjojoに

00bappenas


一番新しい経済閣僚命名建物は昨年9月披露されたGedung Widjojo Nitisastroである。それも由緒あるオランダ時代の建物で、且つ永くスハルト時代の象徴役所であるBAPPENASの建物(Suropati公園前)で、小生には変える理由が解らない。少し財務省がおかしくなっているのかと勘繰りたくなる。 
00widojo_center
しかしスディルマン通りに昔からWidjojo Centerなる名前の建物があったがもう売られて、その名前を知る人はいなくなりつつあることも考えねばなるまい。彼Widjojo(1927~2012)は財務省本部の建物に名付けられたWardhanaの時に触れたバークレイ・マフイアのリーダー格で、他に仲間にはフランスセダ、エミールサリム、スマールリンなどがいる。
カリフォルニア大学バークレー校を卒業した彼らはインドネシア大学の経済学部FEUIを本拠にしていたがそこの恩師がスミトロ・ジョジョハディクスマである。そして彼はBAPPENAS(国家開発企画庁Badan Perencanaan Pembangunan Nasional 国家開発企画大臣府 PPNの機関)はスハルト発足時経済を任されたWidjojoが最初に指導した役所で彼は1967年から1973年まで長官であった。その後彼はその上の経済調整大臣(当時のEKUIN)を2期10年勤めているので財務大臣になることはなかったものである。この時代は年率650%もの物価が狂乱しインドネシア国民が一番貧困に苦しんだ時代である。
この建物はオランダ時代の1880年に建設され昔はVrijmetselaarslogeと呼ばれていた建物だそうだ。

(追)一番あたらしい:その後財務省の建物の命名はMarie Muhammdと Radjiman Wedyodiningratがあった。
両方ブログ済(4月28日)


| | コメント (0)

2017年4月25日 (火)

ESDM BPSDM


00_kantor_pusat_esdm

モナスの南側タムリン像の前のエネルギー・鉱業資源省はKementrian Energi dan Sumber Daya Mineral と言うものでESDMと省略される。この略称にはもっとポピュラーな名前SDMが入っており間違いやすいがSDMはSumber Daya Manusia人的資源・人材開発の意味で市内各所にある。
00_sdm
一番明瞭なのはチャワンからタンジュンプリオクニに上るパンジャイタン通りにある。(とばかり思っていたらこれはSDAであった。AとはAlam自然かAir水である)
00bpsdm
人材開発は各省でも熱心でガトットスブロト通りにBPSDMと言うのを見かけたがこれはBadan Pengembangan Sumber Daya Manusiaの頭文字で公共事業省のものである。法務省ではBPSDM-Hukum dan HAMと後ろにつける。
00_esdm_diklat
そして同じガトットスブロト通りにまさにエネルギー資源省のものがあるがSDMが二つ名前に入ると思うとそこは訓練教育(Diklat)センターとしていた。Diklatとはpendidikan (教育)dan pelatihan(訓練) の省略形である。
財務省はPPSDM或いはBadan Pendidikan dan Pelatihan Keuanganと言う。

| | コメント (0)

2017年4月24日 (月)

BAPEPAMの隣りのGedung Ali Wardhana

00ojk_16apr17_19
BAPEPAM-LKがOJK(金融サービス監督庁)となった建物Gedung Sumitro Djojohadikusumoはこの間通ったときはこの名前は写真に写っておらずやはりOJKだけであった。OJKとは、アジア金融危機の後の時代から銀行の監督をいかにするかの問題があり、中銀が担当してきたが、片や資本市場管理庁はBAPEPAMが担当しており、BAPEPAMに財務省管轄のノンバンクや保険の監督機能を付したのがBAPEPAM-LKであった。これに中銀の銀行監督機能を移し金融サービス全体の監督を任せたのがOJKで世界的にもここまで集中した国は少ない、いまだ実験中だともいえようか この建物はバンテン広場の裏側のダーンデレス・コンプレックスのワヒディン通り、財務省本館コンプレックスに面してある。
00ekon

この建物の左隣が経済担当調整大臣府で建物の名前はGedung Ali Wardhanaである。これをAA. Maramis館としてこちらもBAPEPAMの物としている者があるがそれはまだ未確認である。ところで経済調整大臣府はメダン・ムルデカバラットの憲法裁判所の隣にもその名前を冠した建物がある。多分一部の機能がこちらでもやっているのだろうが、その建物の裏側には遠隔地開発大臣府の看板が出ているので共有である。

00kemen_desa_pembangunan_daerah
現在はその名前はKemen.Desa,Pembangunan Daerah Tertinggal dan Transmigrasiと改称していると思う。その他そのビルにはEITI(採取産業透明性イニシアティブ)と言う聞きなれない役所もある。Extractive Industries Transparency Initiativeの省略であるが石油・ガス・鉱物資源等の開発に関わるいわゆる採取産業から資源産出国政府への資金の流れの透明性を高めることを通じて,腐敗や紛争を予防しもって成長と貧困削減に繋がる責任ある資源開発を促進するという多国間協力の枠組み。(日本外務省)とある。さてAli Wardhanaであるがスハルトがオルデバルを開いた1966年米国研究中のAli WardhanaやWidjojo Nitisastro達、インドネシアの経済エリートをここに集めEKUIN(経済・金融・工業)のかじ取りをしたところで後にバークレーマフイアと称されたが

00_kemenku

彼らは本館のダーンデレス館にいたので現在でもこちらも使っているのではないだろうか。但し正面には財務省の看板があり左端に経済調整大臣府の看板があった。


| | コメント (0)

2017年4月21日 (金)

Gedung Marie Muhammadの意味

00gd_marie

最近財務省の建物群にニックネームを付けるのが流行っている。その最初の発見が旧裁判所のPriyadiで、2回目がSumitroであったのでバンテン広場周辺だけだと思っていたのだがガトット・スブロト通り BKPM横の租税総局ビルにも名前が付いた。その名前は昔財務大臣であったMarie Muhammadである。少し前になるがそれは今年1月で首謀者はスリムルヤディ財務大臣である。
Mar'ie Muhammad.と言えばスハルトの降版前の絶好調の・第6期で大蔵大臣を務めており、表貌からもアラブ系(東ジャワ出身)である。小生の記憶ではルピアを使えとドル使用禁止を打ち出した最初の財務大臣である。租税総局とは大臣になる前に総局長を務めている 彼はMr.クリーンと言われた精錬潔癖で有名であったので現在の職員にも好影響を与えるかも知れない。


| | コメント (0)

2017年4月20日 (木)

ジャカルタ一人旅行記

Jktanaaug14
結局小生はパレンバンにも行かなかった。その理由の一つは、弊ブログにパレンバン観光案内まで書き上げることができたGoogleのおかげであったが、並行して読んでいた本に奇妙な旅行記紹介記事がありそれに影響されたかもしれない。それは前川健一氏の「旅行記でめぐる世界」の中に紹介のあった謎の旅行記「戦後の世界を飛ぶ」(高田市太郎編、日本交通公社1948年)である。
高田氏は毎日新聞欧米部長で、本の冒頭部分に「1948年9月1日ニッポン晴れの秋の朝、私はスーツケース一つの身軽さで旅立った」として始まる米、欧アジアと世界1周するものである。実際に高田氏が帰国したのは1949年4月であるが、この旅行記の出版は1948年11月10日なのである。そして筆の滑りか告白か「そこは便利なペンの旅行だ」とも書いていていたのである。
00_bajaj

小生のジャカルタ旅行そのものは、毎日驟雨はふきすさび、タクシー待ちに1時間単位、乗っても渋滞なので時にパジャイも利用し渋滞回避のため遠回りや車線指示までしていると写真どころではない。副大統領府の写真を撮ると警備の者に追っかけられ、

00sauzi

サウジ大使館でもにらまれ小道に入り追跡を巻く。ほっとビールを飲むところもない。

| | コメント (0)

2017年4月19日 (水)

Gedung Sumitro Djojohadikusumo

00_gedung_sumitro_djojohadikusumo
旧ダーデルス宮殿の財務省の左端が元裁判所であったが現在元財務大臣の名前をとってGedung Prijadi Praptosuhardjoというが、反対側のスネンに近い角には同じく財務大臣の名前を付けたGedung Sumitro Djojohadikusumoがある。これは昔資本市場を管理する資本市場管理庁BAPEPAM を母体としたBAPEPAM-LK(Lembaga Keuangan)の事務所棟である。後ろのLKが付いている通りEfek(株式)、Bursa(取引所)だけでなく、ノンバンクも管理するものである。2014年から中央銀行から銀行監督機能も移管し金融サービス庁(OJK)となっている。
Prof.Dr. Sumitro Djojohadikusumo (1917年~2001年)は独立後から財務畑で47年に インドネシア銀行総裁、そん後通産相、蔵相その他重要大臣をこなし子息はプラボウォ・スビアントとハシム・ジョジョハディクスモがいる。

| | コメント (0)

2017年4月18日 (火)

一人西遊記

従軍記者がスラバヤからバタヴィア迄一人で汽車の旅でついた日は朝まで豪遊した話でその豪胆ぶりに感心したが今度はそれより5年ほど前の昭和12年の西アジア遊記という一人旅の本があった。これらの本で小生のほんのパレンバンやマカッサル旅行への一人旅決行にどれだけ後押しを受けたか計り知れない。
00_garuda_senayan_city_kono_tikaku
しかし結局は体調わるく見知らぬ土地では危険と判断せざるをえなかった。彼、宮崎市定氏は歴史ジャーナリストでちょうどその時37歳、計画では国際会議のあったルーマニアからトルコに入り、イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトを汽船や汽車やバス(アンコット風)或いは馬で各国2~3の都市を回りながらアレクサンドリアを船で立つ11月までの2ケ月の長旅である。当時の民心は貧しかったが、外国人を世話する気持ちは自国民を犠牲にするほどであったが,半面、汚れた衣服の眼病持ちのただれた老人から受ける甜瓜も口にせねばならぬし、一方で貧しさからくる執拗な手伝いの押し売りは相当なもので行くところ行く所誰かしらやってきて便所に迄ついてくる。子供たちの最初の可愛さも最後には豹変し心付け(バクシーシ)を連呼しながら威嚇する。彼は必ず寺院や遺蹟或いは市場(スーク。バザー)を自分の足でめぐる。当時は必ず日本領事に表敬訪問すると食事まで呼ばれたり歓迎をうけ注意事項を教えてくれる。しかし危険地帯のどのくらいかは彼らにはわからず、結局大変な所まで入り組んだ道に迷い込んでしまいどうにか脱出する。危険地帯は最悪はシリアの中のユダヤ人らしい。トルコの統治の大統領はケマールアタチュルクという英傑でに日ロ戦争に勝った日本びいきで改革もおこなったが、このバクシンなどと言うチップ強要を禁止したそうである。しかし所謂暗黒世界の上がりであるシャドウエコノミーでは現在タイ(麻薬か)、ロシア、フイリピン、ブラジル、エストニア、トルコが上位である。日本は良い方から5位、インドネシアは20位程度であった。
そして氏の得た確信は「西アジアの人たちは人間の地位が白人より上である自負がある」と言うことであった。いずこもそれはあると思うが特にインドネシア人も日本人より上に思っている人が多い。それが日本の合理性や迅速性などの美徳のアドバイスに聞いても聞いた振で終わるのである。


バクシンと言う言葉はGoogle 検索で一つくらいしか出てこない言葉だった。

| | コメント (0)

2017年4月13日 (木)

3月の投資環境:インドネシアはまだ元気 そのうち日本抜くよ

3/14 2050年イは世界第4位の経済大国(16年は8位):PwC報告。日本は8位に転落
3/7  ダハナが中短距離ミサイル製造へ、政府が発注。
3/1  1月の外国人訪問客数1,030,748人、前年同月比26.58%も増加。
3/10 国営鉄道KAIが車両刷新計画、国営INKAに2020年までに900両発注見込み。
3/10 アディ・カルヤ、首都圏LRT建設で社債発行+銀行融資計4.6兆ルピア。
3/13 トヨタ・モーター・マニュファクチャリング、新社長にイ人副社長が昇格
3/13 国営5社で産廃物処理MoU、プルタミナ、AT、B/A、ティマ、アサハン企業連合
3/16 スリウィジャヤ航空がビンタン・リゾート開発に参入、サリムと
3/17 PLN、16事業計1,825MW開発に計21.1兆ルピア投資で契約。
3/29 PLN、再生可能エネルギーによる発電所開発10件、民契、計45MW。
3/17 インドネシア・エアアジア、成田~バリ就航へ、5/25以降、週4往復。
3/22 国営70病院の経営統合、持ち株会社制に。
3/29 首都空港ターミナル3と2結ぶ無人運転スカイトレイン、試験運行目指す
3/18 パランカラヤに首都移転案浮上、ジョコウィが調査指示と内務省幹部。
3/5  環インド洋連合サミット(IORA)がジャカルタで開幕。

日本企業もやりたい
3/14 日本の楽器メーカーがブカシで4,340万ドル投資、1,600人雇用し、99%輸出
3/15 デルタマス拡張1,600ha計画。

インドネシアの魔の手も
3/1  5千人を税務調査官に:タックスアムネスティ不参加納税者中心に特別税調
3/3  コメ・トウモロコシなど生活必需食糧11品目のVAT非課税は違憲判決。
3/17 スミットマス前歩道橋で邦人男性が強盗被害事件、犯人は4人組、

そのたちょっと記録したい件は多い
3/8  MRT路線付近の土地のNJOP、最大30%の引き上げ:州税庁が予測。
3/16 アンチョール沖人口島開発、3島は違法で開発許可が無効:行政裁判決。
3/17 パレンバンでもLRT開発、切符支払いは電子マネーで。
3/1  サウジ国王が47年ぶりの来イ、チラチャップ製油所拡張など計70億ドル投資
3/11 電子KTP事業で数十人の国会議員汚職
3/12 バドミントン全英オープン男子ダブルスでインドネシア・ペアが優勝。
3/13 新駐日大使にアリフィン元ププック・インドネシア社長任命。
3/15 日本政府の草の根・人間の安全保障無償資金協力決定計71億ルピア。
3/17 ブロックMスクエアでエレベーター落下事故、25人けが。
3/20 ジャンビの洞窟2ヶ所で古代壁画見つかる、人や動物が描かれているという。
3/23 首都のバスウエイ専用高架道テンデアン~チレドゥッグ間で完工
3/24 イスラムが7世紀に最初に伝えられた場所としてバルスにモニュメント。
3/24 ブカシで教会建設反対のムスリムら数百人が暴徒化、警官隊と衝突騒ぎ。
3/29 対イ円借款739.88億円署名、灌漑整備や海岸保全など。
3/31 インドネシア・サトゥ:NPWP、KTP、運転免許証等のデータを一つのカードに。

| | コメント (0)

2017年4月11日 (火)

パレンバンの観光資源


パレンバンの観光資源ObjekWisataは21も有ると書いたが、それを先ず列挙してみよう。なんと30近くありそれが2泊必要だと思った理由である。殴り書きで間違い乞容赦であるが
1. Jembatan Ampera :1,177メーター、けん引式、日本の賠償
2. Kampung Kapitan:ネオン飾ったアンぺら橋を見る恋人スポット

7827_t01600_static_panoramio_com__2


3. MuseumSultan Mahmud:かってのオランダ理事官官舎
4. Masjid Agung Sultan Mahmud Badaruddin :南スマトラ一
5. Bundaran Air Mancur 泉水

Bentengkutobesak
6. Benteng Kuto Besak :Darussalam スルタンが遺した砦
7. Taman Purbakala Kerajaan Sriwijaya:スリウイジャヤ王国時代の遺蹟公園
8. Museum Negeri Balaputradewa,:スリウイジャヤ時代の遺物博物館
9. Gedung Kantor Walikota(市役所 オランダの水供給設備、夜間スポットライト)
10. Kembang Iwak :市役所近くの湖上ファミリパーク
11. MONPERA:人民勝利記念碑
12. Punti Kayu 林業公園
13. Rumah Mak Bani Montok (伝統住宅 1万円札裏のデザインRumah Limas)
14. Masjid Cheng Ho
15. Klenteng Soei Goeat Kiong:最古のお寺
16. Amanzi Water Boom ;巨大プール公園
17. JSC Jakabaring Sport Center:アセアンゲーム用 GBKに次ぐ最大
18. Pabrik Pupuk Pusri:尿素肥料工場西アジアナ製油所プラージュとゲロング
19. Bagus Kuning プルタミナ所有の動物自然公園
20. Pulau Kemaro(ムシ河のデルタ島・水上生活

Pulaukemaro

21. Klenteng Hok Tjing Rio(クマロ島の中国寺院)
22. Kuil Buddah(クマロ島の仏陀礼拝所 Imlekで賑やう)
23. Fantasy Island
24. Kampung Arabu
25. Kawah Tengkereng
26. Museum Tekstil:
27. Pusat Kerajinan Songket.:金糸の晴れ着など手芸センター
28. Kawah Tengkurep:パレンバンのDarussalamスルタン一族の墓所
まだまだ続く、市外に出るなら更に増える、写真はネットで借用したが多すぎて後でどこから借りたか分からなくなりました。


| | コメント (0)

2017年4月10日 (月)

日曜日の巡り

いつだったかブロックMにあるという綺麗なモスクの写真にネットで出会ったことがある。
00mesjid_nur
ブロックM スクウエアーの屋上で清々しくみえた。昨土曜日、ガルーダ店でパレンバンに行くのをあきらめた後の事である。スナヤン・シテーや、ジャカルタの大手のモールはフランスなどの有名ブランドのファッショングッドばかりの店で時間つぶしにもならない、そこでスナヤン・プラザに歩いて移動、やはりここも面白くはない。
00arcadia_2_3

裏にアルカディアと言う大きな2階建て程度のレストラン設備があり、昔、そこで簡単な中華ミー(ラーメン)を食べたことと思いだし行ってみた。
驚いたことに十数年前になろうと思うのだがこの建物の中の店は皆健在である。ロケーションが悪いようだがゆったりして喧騒を離れる感じがいいのだろう。
00arcadia_chuuka
中華の名前は漢字では難しいがDin Than Fung、日本の福天や河岸の一八も、アイリッシュパブやスペイン・バーグリルなど健在で感激、昔行った友人に伝えたい気分だ。新発見はファーミリー🎤もあるようだ、(これ確認要)
そこから本式昼食でも取ろうと思ってBMに移動、BMへは表がMRT工事で大渋滞ゆえ運ちゃんの為を思って(小生は渋滞前で降りれるが運ちゃんが渋滞に置き去りになり可哀そう)裏のパサラヤで降りて歩こうとした時、このモスクを思いだしたのである。
00msjid_nur_2
7階屋上でエレベーター、エスカレーター、階段で行く。警備の人がいたが屋上は広く、場合によりここまで車で上がれるようにもなって、涼風が行き渡る。
00masjid_nuruliman

名前はMasjid Nurul Imanとあり、何かいわれの人の名前なのかノンムスリムには解らないが一体にインドネシアムスリムにとってモスクの名前は有用なのか疑わしいので詮索はやめるがネットではインドネシアだけで9つくらいのNurul Imanの候補が出てきた。
Bm_marufukudoori
丸福ではビール一杯とマス酒だったが、体調悪くだるくなった。やはりパレンバンはいかなくてよかったと思ったことだったが、少しゆっくりさせてもらい回復を待ちそのあと日式パブによったが、ここはおねだりと逆に拒否すると一挙に悪化する態度(サービス拒絶)に頭もほてり怒り狂いながら最後はすごすご引き上げた。他のお客も一言もおしゃべりもなく帰って行ったのはなぜだろうか
アルカディア、丸福、日色パブでこれが日曜の音入れ巡りで昨日からの体調云々は頻尿・硬便であったのである。

| | コメント (0)

2017年4月 9日 (日)

パレンバン旅行とムシ原油

土曜の朝思い立ってパレンバンに行きたいと思った。
Palembang_3
75年前大空に咲いた空の神兵に思いをはせることが出来る所だからだ。パレンバンが小生のブログに出たのは日本が建設したアンペラ大橋ぐらいであろうか 来年のアジア大会の開催地(ジャカルタと共催)にも触れたことがあるが、できれば油田地帯でも覗きたいと思ったのである。しかしWikipediaでは油田について触れられたない。

Plaju_refinary
間違いなければ油田は市の南70kmのPrabumulih,に在りここからパイプラインで市のムシ河の南側のPlajuとGerong精製、貯蔵タンク地帯に運ばれて精製活動しているようだ。
歴史的にも、オランダのNKPMやBPM、アメリカのStandardが関連してきた。最近ではイリーガルな野天掘り(?)のイリーガル採掘堀が106ケ所もあったり、火災を起こしたりと大変なようだ。
インドネシアの原油生産を一瞥すると最近の埋蔵量37億BBLで可採年数12年、2003年より国内需要が生産より多くなり輸入国である。現在国内9製油所で111万BPDであるがPlajuは13.5万BPDである。

2~3年前tiketは空港では買えなくなった報道があったので確かめると確かにそうだ。オンライン予約にしても料金を調べたりもしたい中うまく行かず、ままよ市内のガルーダ店に行こうと決めた。その前にどれだけ訪問すべきポイントがあるか調べるとさすがPalembangは人口1.7百万(2010)のインドネシア第5位くらいの大都市であり、21ケ所もある。
上記の資源関連、大昔のスリユージャヤ王国関連、オランダ植民地関連、中華寺院他華僑関連、ムシ河水上生活関連、アセアンゲーム他エンターテインメントなど纏めてもこの土曜これから立って1泊では無理そうだ。現地で様子を見て帰りのチケットを買えればいいのだがガルーダで聞いて見ようととりあえず出立。ところが市内のガルーダ・スデイルマン店は土曜日で休み、廻ったスナヤン店はモールの中で10時のモールオープンまで待たされる。この辺りから体調も自信無くなりあきらめざるを得なくなった。この間から、実際行くよりGoogle Mapでの旅行に味を〆ていたからあきらめも早かった。


| | コメント (0)

2017年4月 5日 (水)

ダナレクサ辺り

00_danareksa_205


ホテル・メルキュールの隣は国営投資信託銀行のDanareksaである。1976年創設の名前も立派であるが最近活動状況は不明である。現在投資信託を扱う機関はAgen Penjual Efek Reksa Dana(APERD)は大手銀行中心に21行あるが、その中にはDANAREKASAの名前はない。この分野は間口が広くインターネットへの情報提供が少なく一番Transparensyが不足している。こちらも樹木が茂りその上最近工事中の幕の中であったから猶更だ。
00mercure_hotel
昔、「ホテルサバン・メルキュール」と言うブログでこの建物はBAPEPAMと勘違いしていたがこの通りジャランサバンが交差する道クブンシリーをクブン・ジュルックと間違っていたことも気付いた。


| | コメント (0)

2017年4月 4日 (火)

ソ-ランウエイ Chaulan

度欲さんのジャワ点描紹介記事に日本人会館と日本人小学校はソーランウエにある。」と言うのがある。戦前のバタヴィアの日本人会と日本人学校の事でジャカルタの日本人会の重鎮であられた石居日出雄さんからの話で「現在の地名ではJl. KH Hasyim AshyhaiのKali Krukutにかかる橋の西詰めの南側です。」紹介記事には「ソーラン・ウエ」の「ソーラン」はChaulanと綴りますとも記載ありますが小生もこの名前は聞いたことがある。
00_merlyan


このMr.Chaulanさんはフランス人でこの一帯の地主で、その土地に立ったのが当時東洋一を誇ったホテル・デス・インデスでこれはフランス語読みだとデサーンと読まれていたそうだ。つまりこの一帯はハーモニー会館含めフレンチクオーターだったらしい。 又従軍日記の話になるが従軍記者はスラバヤから一人列車の旅でジャカルタに来てこのホテルに投宿したはいいがその日のうちにベチャを連れまわし夜の街を徘徊、その日はとうとう高いホテル代がフイになる豪遊であったがやはりあの当時の日本人はやることも図ばねけていたと妙な所で感心したことであった。写真と記事は関係ありません


| | コメント (0)

2017年4月 3日 (月)

北のジャラン・サバン

もうだいぶ前になるのであるがアグスサリム通りの北の端にホテルが再開したというブログに隣のビル名を間違えていたので訂正がてら再登場願ったのはHotel Mercureである。
00mercure_hotel
そしてその隣と言うのは資本市場管理庁BAPEPAMと間違ったDanareksaである。まずはダナレクサと言うのは国営の投資信託会社である。所謂ミューチュアルファンドを扱う会社であるが、今日見に行った時は何か工事をやっていた。この道はアグス・サリム通りで旧称ジャラン・サバンと言いこちらの方が今でも通りがいいようでこの辺りを入口にしてイマムボンジョール迄つながる由緒ある道であったのであるが現代は一番賑やかなあたりが一方通行になりこのホテル辺りは逆の一方通行となってしまった。

同じ通りの名前を付けている理由もなくなり、この一帯は若干寂れ気味でそのためこのホテル旧名ホテルサバンはつぶれたのではなかろうか 明るくなった現代の写真風景を掲げて応援をしてあげよう。

| | コメント (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »