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2017年4月 4日 (火)

ソ-ランウエイ Chaulan

度欲さんのジャワ点描紹介記事に日本人会館と日本人小学校はソーランウエにある。」と言うのがある。戦前のバタヴィアの日本人会と日本人学校の事でジャカルタの日本人会の重鎮であられた石居日出雄さんからの話で「現在の地名ではJl. KH Hasyim AshyhaiのKali Krukutにかかる橋の西詰めの南側です。」紹介記事には「ソーラン・ウエ」の「ソーラン」はChaulanと綴りますとも記載ありますが小生もこの名前は聞いたことがある。
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このMr.Chaulanさんはフランス人でこの一帯の地主で、その土地に立ったのが当時東洋一を誇ったホテル・デス・インデスでこれはフランス語読みだとデサーンと読まれていたそうだ。つまりこの一帯はハーモニー会館含めフレンチクオーターだったらしい。 又従軍日記の話になるが従軍記者はスラバヤから一人列車の旅でジャカルタに来てこのホテルに投宿したはいいがその日のうちにベチャを連れまわし夜の街を徘徊、その日はとうとう高いホテル代がフイになる豪遊であったがやはりあの当時の日本人はやることも図ばねけていたと妙な所で感心したことであった。写真と記事は関係ありません


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