« イフタールはここで | トップページ | ジャカルタ大阪王将の代わりに相の川 »

2017年6月 6日 (火)

Gedung Syafrudin Prawiranegara

00_gedsyafurudin_praw

ラパンガン・バンテンの奥の旧財務省の裏(Jl. Lap. Banteng Timur No.2-4)にあるのがこのビルで美しい白亜の旧ダーデルス宮殿の裏から突き出で景観を損なっている。ここには財務省の国富管理総局(Dirjen Kekayaan Negara 森友学園で言えば理財局か)であるがその建物のニックネームにつけられたのがSyafrudin Prawiranegaraで、なぜここに?と疑問に思うが彼も財務大臣であったのだ。それも3回もであるが46年、49年、50年の何れも数ケ月の短期であった。しかし彼はスカルノの反乱であったPRRIのリーダーであったこともあるが最後は国家英雄で一言では言い表せない。
伝記記録を示すと1911年バンテン生まれ、母はミナンカバウで1989年77歳で亡くなっている。ジャカルタ法科大卒で1948年のオランダ第二次侵攻の際のスカルノのジョクジャ国内亡命を助ける政府代理PDRIを務め危急を救ったが10年後の1958年は押されてスマトラに樹立したPRRIの首相を務めたほか、順不同で言えば商業大臣、農業大臣、BI総裁、副首相を目まぐるしく連ねている。

00_ged_syafurudin_prawi_google
この建物がこの名前であろうと言うのは財務省のサイトからである。この総局リストでダーデルス側にあるのは先に紹介したGd. Prijadi Praptosuhardjo I, (ここも住所は同じJl. Lapangan Banteng Timur No. 2-4)のみである。他にこの所にあるOJKの建物はGedung Soemitro Djojohadikusumoで住所はOJKのサイトでJalan Lapangan Banteng Timur 2-4とあるので同じコンプレックスである。その隣がGedung Wardanaであるが
此方は経済調整大臣府のサイトでその名前を確認しておるので真ん中の白亜はGedung Maramisであるがそれは財務所のサイトでHERITAGE BANGUNAN KEUANGANとして確認できる。ここに入居しているのはどこかとなると多分Perpustakaan Direktorat Jenderal Pengelolaan Utang (DJPU)謎の名前が見える。これでダーデルス側はラパンガンバンテン・グドゥングマラミス側と言えるし主要な建物の名前を確認したのはGoogleもWikiなども若干混乱があったからである。(googleではこの建物を含めニックネームの名前なく 唯一あるMaramisは場所が違うかな) 

|

« イフタールはここで | トップページ | ジャカルタ大阪王将の代わりに相の川 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事