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2017年6月15日 (木)

気になるタムリン

国家英雄タムリンについては何度かブログしているが間違いがあった点も多く以下に補充してみよう。間違いが不確かに上がるだけかもしれない。彼は1894年2月16日にSawah Besarで生まれ、1942年1月11日に亡くなりKaretに埋葬された。

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父はオランダ人(蘭英?、母はベタウイ)でWedanaと言う郡長(?)であったのでオランダの学校(Willem III ギムナシウム)に通ったが父が早くなくなり、小さい時から住民との素直な付き合いの中からベタウィ代表として議会やVolkslaadに選ばれていった。その間KPM(オランダ王立海運)の職員でもあった。そこでオランダ人の社会運動家と知り合い活動していったのである。祖父にさかのぼると名前はOrtでイギリス人で母はブタウウィであったことから残された地所がPetojoにある街の中にあるサッカー場(祖父はここでホテルをやっていた)である。Sawah Besarは現在の同名の駅の一帯か、Sawah Besar No.32 とあったがそれはH.Wuruk通りに近いKebon Jurukだとgooglは表示するがこの辺りは密集地帯で現在では金持ちが住むようなところには見えない。
彼は議会でオランダ独占を破り副市長(wakil Warikota)になりまたインドネシア独立の為の指導的役割を担っており、1919年市議会、1935年(or1927年)Parindraを代表し国民参議院(Volksraad)に議員となった。

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このGedung Kenariもその活動のための集会所として元オランダ人の倉庫を購入したものである。古くは1928年のPNIの集会、1935年アラブ統一集会、1939年Parindra合体集会である。
Jintan
日本占領後偶々皇帝の絵がある仁丹を持ち上げた話から日本のスパイの嫌疑をかけられた。最後は多くの秘密警察に自宅に拘禁されその時はマラリアにもかかっていたこともあり他殺説もあり、死亡原因は解っていない。死亡場所をSenen(Sawa Besarに隣接)とするものもある。写真の一つはorangbetawi.comから借用、2016年対する小生のは相当古い 20年前としておこう。あまり変わってない。

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