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2017年6月30日 (金)

私のToko Tiga


コタのパンチョランのToko Tigaは有名な地名であるがまず何がToko Tigaなのか、それが店の名前なら
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その名前を冠する店は多くあり中にはコタから離れたワヒッドハシムのバクミー・トコ・テイガもある。通りの名前なら割と短い道で且つそこに用があるような店もないのでなじみはない。
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道で言えばまずグロドックから左手パンチョランに入りKrukut運河とぶつかる所で運河に添って左に曲がる所にToko Tigaの道標がある。

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そこから運河サイドを上流に上る500メートル程度がその道であるがこの運河の両サイドである。 500メートルの先は金徳院の方からぶつかって来た道Kemenanganが運河を越える橋の所から合流する形で古い中国建物を右に見ながら行く数百メートルも同じToko Tiga通りでそれは昨日紹介したPasar Grosir Perniagaanの所までである。 
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この先は道もPerniagaan通りとなり、さっきのKrukut運河(それは少し上流で二手に分かれた左手の運河)にぶつかるがその端に大きな中国建物があり壁にToko Obatと大きな名前が彫られていたので小生はこれが Toko Tigaに関係するかなと思っていた。それではここから又戻って復習すると、今来た道を戻ってさっきの橋に来たら渡らずに運河の左側の道をとるとそこもToko Tigaでさっき来た運河を挟む両サイドの道の側である。

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この500メートルのTokoTigaを抜けるとさっきの道標があった所、すなわちパンチョランであるがこの名前はここからむしろピントゥクチルと言われ左に曲がって進むと例のFlyoverが見えそのあたりがパサールパギで更に北に取るとカリブサールに出てくることになる。 ここをイキツ戻リツしながら実は本物のToko Tigaは見つけているがそれは次回のブログとしよう。

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