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2017年7月17日 (月)

トコティガの200年

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6月30日のブログ「私のToko Tiga」で既にこのトコティガは見つけていると報告したが話の発端はJP誌の古色蒼然たる写真からであり、これの現在をさがしていたものである。何度か動きまわって突き詰めたジャラン・トコ・ティガの謂れはやはりそういう名前の店があったからで最近中国からわたって来た移民の成功物語が出版されていたことが助けになった。
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それは1819年迄さかのぼる。名前はOey Thai Loと言い現代から言えばもう6代~7代も前になるのだろうか。まだ存命のひしゃごに当たる78歳のRobert Wijayaはここには住んでいるわけではないが父の話から断片を聞くだけで、道の名前にもなった経緯とか現在につながる成功の血脈を訪ねて資料を集めたのであろうか 本はAnak Tukang Cukur Miskin dari Fukien Menjadi Taipan di Betawiというものである。
彼自身もPT Tigaraksa Satria tbkを創業した実業家であるが、その血脈は辛抱強さ、寛大さ、粘り強さに集約されている。インドネシアにやって来たLoはタバコ屋を始めたがある日村の子供が遊んでいた凧の紙に数字が書かれた印刷物に気が付いた。彼はそれをオランダ政府発行の債券であることを見抜き子供の家にあるすべてと銅銭に引き換えてこれがさらなる元手でタバコ屋を全ジャワに広げることが出来た。そしてこのパンチョランでも地所を買いタバコ屋をやっていたのが今の名残である。


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その地所もその後6つに分割されたりしたようだがその名残を残しているのが小生のアルバムにもあったLautan Mas(一番右端の家)である。
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目安になるのは前の運河の向こう側のホテルであるが、これとて、いずれなくなるのであろう。
小生にはもっと早く知りたかった話であるが、血脈は変えられない話でもある。
(追)その成功のLoさんは50で亡くなったが遺産を食い散らす子孫もいたような話も別にあった。。
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調査の途中で出てきたあのGrosirの横の建物もあった。


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