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2017年8月28日 (月)

プタンブランの思い

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ジャカルタ ジャパンクラブよりブタンブランの日本人納骨堂のある墓地で秋の慰霊祭の案内が来ていた。
小生は1990年代初め何度か参加したが、いつからだろうか今や日本から住職(長野県久遠山・延壽院の伊佐榮豊住職)がおいで頂き式を執り行っている。案内文にはその歴史が書かれているのでここに引用しておこう。慰霊祭は9月20日でクラブに申し込めばよい。
「日本人納骨堂は1931年、当時の日本人会有志(7人)が発起人となり、バタビア日本人会共済会を組織して建立されました。ジャカルタ市内に点在しておりました本名も分からない「からゆきさん」のお墓を10年の歳月をかけて集め、ここに安置しました。第二次大戦後、参拝者もなく荒れる一方となっていたお墓を見るに見かねた邦人有志が1959年に日本人墓地保存会を結成、在留邦人からの寄付を仰ぎ、市内に散在していたお墓を日本人納骨堂に集め、1960年12月に最初の合同慰霊祭が行われました。爾来、毎年春と秋の2回、慰霊祭を執り行っております云々」
このブログではこの墓地に祀られた一人の女性について2度ほど書いている。一つは2010年6月 7日、「http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-1970.htmlプタンブラン日本人納骨堂訪問記」 でありあと一つは2015年4月24日の「興安丸 人生3度の邂逅」である。今読み直しても涙をそそる話が秘められている。ここはジャカルタだけではあるがインドネシア全土にこのように散っていった日本人のからゆきさんが眠っているのだ。アルー島のDoboだけでも何百人もの日本女性が虐げられていた時代があったという。

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インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

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