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2017年8月 1日 (火)

チリリタン事件のスヨノとスポノ

手持ちのインドネシア年表に1955年12月14日つけでPeristiwa Komodor Muda Udara Suyonoと言うのがあり、小生がコレクションしている3文字男性名だと飛びつき、ある話に出会いました。なんの意味もないがアップしておきたい。
Halim_au
「陸軍の歴史だけでなく空軍の発展においても内部抗争は起こった。事件の最初は将官会議でそれは空軍准将(? 准コモドール)Hurbertus Suyono と空軍将官コモドールのWiweko Suponoの間で空軍参謀長KSAU Suryadi Suryadarmaの指揮に付いての批判から起こったものである。
それは参謀長は多くの将官の育成でオランダと比較し日本の方式を好んでいたのであるが、これにスヨノが批判し、空軍本部はスヨノを召喚し海外で学ぶように命令、罰則を与えられたと思った彼は国防省や国会国防委に訴え、彼がしたことは空軍の良かれと思ったと説明したがむしろ事態は悪化、自宅軟禁とされた。しかし内閣がハラハップに代わると風向きが変わり新内閣は彼に副空軍司令官のポストを与えこれがより深刻な対立をもたらしたようです。
1955年12月14日には、空軍Cililitan基地での就任式で大臣がsutoyoの宣誓をうけるとき兵士の一団がやってきて同意しないと叫びました。スポノ士官も襲われ就任式は失敗に終わりました。司令官は辞任を申し出ましたが大統領は受け付けず、副司令官の席は当分空席とされたということである。
スポノも初めての名前でこれで二人に似た名前はスヨトやスポモがいるが全体では14人になった。
この話はSenagung Wakutuにあったものだが、作者は元軍人かちょっと見ても以下が目に付いた。
 SURAT BERTINTA DARAH DARI OTO ISKANDAR DI NATA, S...
 FITNAH PKI TERHADAP BUNG TOMO
 AIDIT BENCI HATTA

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