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2017年9月12日 (火)

Langgar tinggi と An-Nawier

先週PekojanのLanggarm Cinaを紹介した時そのPekojan Raya通りのPasar Pagi 寄りの端にLanggar Tinggiというモスクがあることを紹介したがこのモスクについては10年も前にブログしている。
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この建物は1829年に建てられたもので中国とジャワとポルトガル、コロニアル様式が混合したものでアンケ川添いであるためかモスク(お祈り場)は2階である。その後も何度かこの運河添いの道は通るが運河側の後ろは相当ダメージを受けている。


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ここに来るずっと手前にもモスクがあるがそれより古い1760年築のAn-Nawier モスクである。Banten Fatahillah 軍の指揮官ダーランによって建てられたもので、彼の墓はまだモスクの裏庭にあるそうだ。
このモスクはドームはなく、トスカナの円柱と四隅のミナレット(タワー)を持つイスラムの邸宅のように見える。 小生もつい行き過ぎてちょっと変わった邸宅だなと思いながら撮った写真がマイアルバムにあったのでアップしたい。


20170910_2
相当奥が広いのだろう。従いタワーは外から見えないし内部の柱の林立写真(google)を見るとそれが想像できる。その他に3つほど有名なモスクがこのプコジャン地区にあるようだがアルバムにはなかった。

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