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2017年9月11日 (月)

スラバヤの鳥居の所在地調査

Surabaya_torii7

My ブログの「鳥居とガプーラの共通点」でスラバヤにあったと言う大鳥居の写真をブログにアップしたら 読者の方から肝心の神社はどこですかと聞かれた。鳥居は確かに神域の入り口に立つのであるからあっと思って奥を探したら大きな建物が見えた。その前に、この写真の枠外の「SimpangとKetabangの間のKaliMas橋(現在市庁舎の前)」という表示から地図で場所を探しながらここはJl.Suryoの前に立つ、州長官官舎前だと直感した。それは「Gedung Grahadi」として既にブログにしていたところである。その後ろはKalimas運河であるので神社はないものだと断定していたが、どう見ても建物自体のファサードも違うし市庁舎と官舎でも違うので再度、Surabaya City Hotelで探すこととした。 
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鳥居の写真がアップされたyellowflowersuroboyo.blogspotに行き当たりここにこの建物の写真が1925年や1966年の写真もあった。そして他の資料でこの建物は今、現在も未だ存在し、表示された通り市庁舎(Balai Kota)であることがわかった。位置で言えばGedung Grahadiの後ろの運河を渡ったすぐの所にある広大な場所でTaman Surya(Ketabang地区)にある。Gedung Grahadiの1ブロック右横の運河を渡る道があり、そこをまっすぐ直進するのである。
Balai_kota_surabaya_1
入口辺りにスディルマン将軍の像が立っており、或いはプロテスタント教会なども聳えている。このBalai Kotaは1923年にオランダの第2代市長の時代に建てられたもので地下に防空壕みたいなものが作られている。ミステリーである。 あの鳥居の写真は何時撮られたか、いつ壊されたか、本当に本堂などはなかったのかは不明のままである。この建物は南向きの東西に長い形をしており この鳥居から拝むとその先は東京の靖国神社の方向になることだけは突き詰めた。 


その後今日図書館でめくった本の中で以下のような文言を見つけた。「スラバヤの神社は管見の限りどこにどう建設され、今どうなっているか不明である」そしてこれは諏訪神社に倣った設計で43年7月に地鎮祭が行われたが関係者の名前は不明であった。」

ここに諏訪神社とあったので鳥居を比較するとそりあり、額あり、貫ありで同じであった。 (13日)

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