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2017年9月16日 (土)

ダンデルス宮殿地の所有者 その2

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タナ・アバン市場の開拓者でJustinus Vinck (VinckeもあるがwikiではVinck)の名前を出したが彼はスネン市場も開拓しており、二つの市場をつなぐ現在で言えばKebon Sirih通り- Prapatan – Kwitang通りも整備された。

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それは1735年の頃で彼はまた、カンプン・ドゥグの教会の再建にも貢献している。1740年の華人大虐殺事件の時、ここトゥグも火災に見舞われたが1944年に再興したものである。彼は今マラミス会館の立つ昔のダンデルス宮殿の土地の所有者であった。
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先般のダンデルス宮殿地の所有者で出てくる1697年のCornelis Chasteleinはバリ人を連れてきてデポックの開発にあたり現在でも教会他多くの遺蹟を残している。マイブログ「デポックのキリスト教の町」参照
1650年頃の所有者Anthonij Paviljoenは今のLapangan Bantengにあたるこの土地Lapangan  Paviljionの最初所有者として名前を残している。他に聞いたような名前のJohan Francois de Witte van Schootenという所有者も登場したが、思い当たったバタビア時代のの古いホテルHotel
Pavillion、Schomper Hotel、Hotel Wisse)などと関係しているかと調べたが痕跡は発見できなかった。


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