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2017年9月20日 (水)

Sutikno Slametさんは

コンプレックス・ワヒディンの中にGd. Sutikno Slamet という聞きなれない名前の建物がある。以前Gedung DhanapalaというAuditoriumhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/dhanapala-08b3.htmlをブログした時触れたがその会館の後ろの右側に立っている高いビルがそうである。

00stikno_slamet
Sutikno Slametという人の情報はネットでも少なく出生と死亡年すら解らないがかろうじて1957年から1959年の2年、財務大臣をやっている。沢山いる財務大臣の中から彼が得た建物は財務省の中でも一番重要と思う予算総局Direktorat Jenderal  Anggaranである。そのあとまた2年ほど中銀総裁を務めている。生まれはKaranganyar, Kebumenとだけ出ているが中部ジャワ出身である。


00gedung_juanda_i_ii

そしてDhanapala会館の左手にはこの財務省で一番高いビル2棟が連なって建っている。写真はダーンデルス会館側からの遠望である。ここがジュアンダビルのI及びIIで、このIの方に財務大臣が執務しているのである。その他I には副大臣室或いは多くの専門家が執務しているほか、政務次官関連、或いは人事局(SDM)があり ジュアンダIIには査察総監関連の執務室である。
住所はJl. DR. Wahidin Raya No.1 Jakpus 10710であるが中にはSenen Raya通りとなっているものもあるがそれは出入り口をその道路側に持っているからであろう。ジュアンダビルのジュアンダはスカルノ時代の一番重要問題を担当した一番筆頭の財務大臣Djoeanda Kartawidjajaである。彼はStiknoの後の1959年7月から1962年3月迄の財務大臣で後をNotohamipradjoに引き渡しているが、むしろその前の1957年4月から1957年7月までの首相時代のほうが国家に尽くしていると言える。 このブログでも「画期的でもあるジュアンダ」として紹介している。

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