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2017年10月 7日 (土)

DJKN、プラパタン10グループの根城

Djkn_sp

財務省のホーム頁に財務省管轄の文化遺産建物のペイジがありそこにDJKN ホールが上がっている。
それによるとその建物は1916年に医者教育学校(或いはSTOVIA)として建設されたが、その後GHS或いは医者高等教育学校を経て保健省の建物など、そして日本占領時代はIka Daigakuの学生寮として使用された。ここで学生たちは日本を追い出すための戦略を議論する場所となり、半地下活動のスタン・シャフリルもここに参加し.インドネシアの独立後の国家の在り方などが議論された。1976年に国家債権庁が取得しその事務所となった。そして現在迄2000年以降財務省国家資産総局(DJKN)のジャカルタ事務所として使用されていると説明があった。

Gedung_dgkn

これだけではどこにどうあるのかが不明なのでKanwil DJKNを調べるとそこはスネン三角地にありAtrium Plazaの近くi Jalan Prajurit KKO Usman dan Harun Nomor 10 となっていた。
日本占領時代ここに書いてある通りの反日の根城なのかどうかは知らないがとにかく当時は学生たちが反日或いは協力しつつの独立を目指したいくつものグループがあり、このブログでも名高いMenteng 31や Kebon Sirih、 Bungur、Cikini Rayaなど様々なグループがあり、そしてここはKwitang/Prapatan No.10グループとして探し回ったことがある。
00kpknl_prapatan_aug_14_19

この道路側のビルは現代的ビルであり、この奥に何かあったのではないかと中央の裏に抜ける通路から覗いたこともあった。 Google Mapの上から見ると いくつもの建物がありそれにはジャカルタのKPKNLの I からVとかが集中してあるものの、財務省の遺産に掲げた写真の平べったい建物は見つけられなかったが間違いなくあるのであろう。
KPKNLとは国家財産及び入札サービス事務所Kantor Pelayanan Kekayaan Negara dan Lelang である。住所のPrajurit KKO Usman dan Harunについても「若き英雄、爆弾3勇士」でブログにしたが道路名になったのは最近である。


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