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2017年10月 4日 (水)

初期のインドネシア共産党からも国家英雄


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カリバタはショッピング・モールやアパートなんかより、英雄墓地Makam Pahlawan Kalibataである。
小生のブログでも「カリバタ英雄墓地」というそのままのブログも書いているし毎年の英雄選出や埋葬の都度の儀式とかについてのブログは多い。
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最初にここに英雄墓地を作る話はスカルノが謂い出しでインドネシアの有名なF.Silabanの設計でオランダ時代のAIAが協力し1954年に出来た。それ以前はアンチョールにあった。その時は5haの広さであったが、その後スハルトが76年に25haに拡張、 現在1万人くらいが眠っていてもう土地が足りなくなっている。
靖国には20万人規模であるが、インドネシアはジャカルタに集中しておらず全国28ケ所に独立戦争英雄墓地はある。残留日本兵も独立戦争英雄としてここだけでも30人とかにはなるのではないだろうか。
そしてここには インドネシアでは許されない共産党の人がいるというのでブログにしているわけだが、今英雄叙勲リストを見るとちゃんとあるので単なる独立戦参戦したというだけではないことになる。それが Alimin Prawirodirdjoである。
彼は1889年ソロの貧しい家庭に生まれたが養子にされバタヴィアのオランダの学校で学び、最初はジャワ・ムダ誌の記者となり、その後もブディウトモの活動に入り一時チョクロアミノトのコスに住んでいたこともある。
過激派のチプトマングンクスモと共にインシュリンデの党にはいり港湾労働者の組織化で活躍した。1918年にインドネシア最初の共産主義の組織(ISDV)にも合流した。1926年の共産党の反乱の時は彼はタンマラカのように、国から国へとさまよって植民地政府の追求から脱出した。1946年に戻って来た彼は既に老いており、再建されたPKIでの活躍の居場所はなかった。彼は1964年に亡くなったが、まだ終身大統領として全盛期のスカルノはその1年前のタンマラカに続き、彼らを英雄に叙勲した。
スハルトが剥奪しなかったのは彼らは共産党であっても戦いの矛先は植民主義のオランダであったからである。

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