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2018年1月22日 (月)

Pasaraya と メディーナ 女性社長

一寸この間このブログでも報じたパサラヤに入居していたマタハリの閉鎖であるが、この両社はそれぞれ契約違反として相互に提訴しあった法廷闘争をしていたことが、再度報じられている。
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どちらがどうかは知らないが両社とも大変な時代であろうことは想像がつく。
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パサラヤはブロックMとマンガライの2店舗あるが一時“ Big & Beauty”と “Young  & Trendy”を標語に訴えていたが今考えるとどちらがどうだったか定かではない。ブロックMの方では駐車場ビル側にボーリング場もあり、又ゆったりできる日本のファミリー居酒屋などもあり、或いは本店ビル側のレストラン街にはいくつかの日本レストランも出店していた。いずれも色んな事情があったのであろうが落ち着いて営業も出来なかったのではないかと思えるほど変転が早いかった。

Pasaraya_food
少し責任を感じるが現在のレストラン街にはもはや日本レストランもない。しかしここを取り巻く環境はホテルが4つ(内3つがこの3年に相次ぎオープン)もあり地下鉄などができるとバスターミナルなどと共に活性化出来よう。マンガライの方は単独デパートであり、マンガライ駅とも離れているのが弱点になるのか この創業者はAbudul Latiefと言う人で、温厚な人で小生の住んだ場所と同じ通りで挨拶に行った折、赤いローカル酒を頂いた思い出がある。その後の彼の人生は色々あったようだがサニーサイドだけアップしてみよう。Abdul Latiefは1940年アチェ生まれで、大学時代からサリナーデパートで働き、日本の西武からもを学び、1971年には8年程働いたサリーナを飛び出し、72年若手起業家連盟HIPMIを創設し74年にはグロゴールでSarinah Jayaを始めたのが企業のスタートであった。名前をPasarayaとし BlokMにデパートを建設したのは1981年であるがその後火事で焼失した事件も乗り越え事業グルプAlatief Corporationとして育って行った。1993年にはスハルトに労働大臣として招かれ98年は観光大臣となったがスハルト退陣で1年程で終わった。 2001年にはTVにも進出LatiViを設置している(これは08年にJKT-TVのTohirが買収し現在はTV-Oneと改称)。
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子供にMedina Latief Harjani とAhmad Dipo Ditiro、Dopo Latiefがいるが2011年Medianaに Pasarayaの社長を委譲している。彼女は1970年ジャカルタ生まれ、トリサクティ大学卒業後リンカーン大学のMBAを取得している。Alatief Corpはリテールの他ホテルや保険業がある。


Pasaraya


上記の駐車場ビルは建築し10年ちょっとで取り壊され今は41階建てのオフイスビルMenara Sentrayaとなっている。弟が関係するPasaraya Internationalが Tata Disantaraと一緒にやっているがさてどうだろうか。

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