« ノバント万華鏡 Novanto Kaledoskop | トップページ | ノンバンクのインドネシア語 »

2018年1月28日 (日)

バリゲート クロニクル

昨日のノバント万華鏡で、その報道の筆者のバンクバリ事件の内容表現が不足していた感があったが、あの当時このスキャンダルは、スハルトが首になり、代わりのハビビ政権も震え上がりインドネシアすら打ち捨てられる危機の大変なドラマだった。

00_maybank

(foto:昔バンクバリがあったビル)
あの当時バンクバリは日本の銀行とも提携し優秀な銀行で日系企業とも取引があったし、その本店ビルには日本人女性が経営するイタリヤ居酒屋(?)もあったので親しみもあった。米系格付け機関もバンクバリは健康体評価であった中、ある推定記事だとあの金融危機の中で取り付け騒ぎの中、預金者は預金をバンクバリに移動させ、結果流動性のあるバンクバリに対し財務省と中銀の幹部がBBのラムリ社長を何度も呼び出し困窮銀行の為銀行間資金供与を嘆願されこれが発端となったようだ。 金を出してくれと泣いて説得(bujuk rayu)した時は政府が保証すると言っていたが3行がIBRAのBTO(Bank Take Over)になってからはIBRAは債権の届が遅れたとか難癖付けて保証を無きものにした。ここで出てくるのがEraという会社で、これは当時MuliaグループのDjoko(以下敬称略)が保有する企業であった。ここにあのNovantoは社長(Dirut)であったとも出ているが、むしろ彼の正業はゴルカールの会計役であった。不良債権となった債権処理に困ったBBはEraに債権譲渡(cessie)をする契約をすることになるが、これは文字通りでもなく本当は金を政府から出させる役回りであった。この段階でDjokoとNovantoがどう出て来たのかは暗黒気味で既に陰謀のシナリオが書かれていたのであろうか。成功報酬は回収資金の半分という巨額なフイクサーであるが、その当時確かにハビビ大統領筋は選挙資金で3,000億が噂されていた様だ。
大統領を押す派の大物には先日亡くなり、このブログでも書いた大統領最高顧問のバラムリ氏もいた。タンリアベン国務大臣、IBRAの正副総裁(ユスフ/パンデ)、シャリル サビリンBI総裁、大蔵大臣など多くが関与したなかでラムリ氏は勇敢に抵抗した。華人苛めの乗っ取りだったという見方もあるが紆余曲折あり、最終的に有罪となったのはDjoko Tjandra, Syahril, のPande Lubis3人だけで幕引きとなった。資金はハビビが返却指示したとか。
00permata_bank
(foto:Permata Bank:その後横にStachanが建った)
バンクバリはバンク・ユニバースやBank Prima Expressなど5行で合併させられBank Permataとなり現在2010年時点で国内9位で
00stachan_permata

株主はSCBとAstra Interが44.5%を保有、残りは一般の上場株である。ラムリ氏も個人的な損失は大きかったであろうが、普通の実業家にもどっている。事件の主なクロニクルを纏めてみよう。(ただし発覚の濃淡もあり複数の報道では若干のニュアンスの差はある点留意要)
1997 Oct: IMF支援 銀行整理が条件
1997 Nov: 16銀行閉鎖命令(中銀によりアンリコ、パシフイック、インダストリ銀など)
1998 Jan.: 銀行再建庁(IBRA:BTTN)設立 旧来のBI支援を引き継ぐ 54行が問題銀行
1998 Apr: 7銀行営業停止、(セントリス、プリタ、スルヤ銀など)、
7銀行:IBRAにテークオーバーの(BDNI, BUN,Tiara, Danamon, PDFCI,
Modern, Exim)
1998 Aug: IBRA 3銀行営業凍結(BDNI:Gajah Tunggal, BUN:Bob Hassan,Tiara)、問題銀行及び株主へ流動性資金返済を求め以降続く
1998 Oct: IBRA バンクバリへの保証を拒否
1998 Oct: バンクバリ、CARがマイナスと判明:後のB評価、資本増強求められる。
1999 Jan: バンクバリ・エラとの債権譲渡契約
1999 Mar: 126銀行監査後の分類と再編マスタープラン(CとBから38行閉鎖、
Bの内7国有化、9には公的資金注入、Aは72行の内の未達3が後に閉鎖)
1999 Apr: バンクバリ、リキャピタリゼーション協定 スタチャンが名乗り
1999 Aug: バンクバリ スキャンダル判明、 Rp17,000/$墜落 スタチャン独占交渉にも批判
1999 Nov: IMFが求めたPWCの監査報告が一時センセーション
その中で政治は1998 May:スハルト退陣、ハビビ大統領昇格、1999 Jun:総選挙実施 PDI-P勝利、1999 Octワヒッド民主化時代へと移行していく。
2003 Dec: 最後のIMF融資、IBRAも卒業解散へ(2004/03)

|

« ノバント万華鏡 Novanto Kaledoskop | トップページ | ノンバンクのインドネシア語 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ノバント万華鏡 Novanto Kaledoskop | トップページ | ノンバンクのインドネシア語 »