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2018年1月18日 (木)

産業大臣スラフマンR.P.Surakhman

インドネシア現代政治史(永井重信著)にはこのように名前が出ている。独立後の最初のスカルノが編成した内閣の閣僚の名前である。

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この大臣の名前が一度、とあるビルの名前として使用されたことがある。メダン・ムルデカ東のフンプス・ビルに財務省・租税総局の大口納税者担当事務所が入って居た時代である。財務省ではどうかと調べるに2008年の財務省令にGedung Surachman Tjokrodisurjoと出ているのでSurachmanの部分が同じ人だと推定されるがそれはwikipediaによる情報を加えての話であるが其処にはPandji Soerachman Tjokroadisoerjoとなっており、また彼の経歴から農業大臣の大臣一覧を見るとSurachman Tjokrodisurjoとなる。他にIr. Raden Mas Pandji Soerachman Tjokroadisoerjoというのがあり、これが本命だと断定したい。
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ここにいたkanwilの移転先はスデイルマンのGedung Sudirmanであるが、写真では一番奥の左手3番目の丸みを帯びたビルで反対の右手はWisam Sudirmanである。
次にこの人の大臣歴であるが
19 Aug.1945 - 14 Nov.1945 Men.Makumuran 
2. Sep.1945 – 14 Nop.1945 Men.Perdagangan /Menteri Pertanian
5 Des.1945 – 2 Okt. 1946 Men.Keuangan 財務大臣4代目
最初の内閣で工業も商業も農業も水産/林業も鉱業も建設も業が付く大臣は一つもなくMakumuran繁栄と言う抽象名詞となっておるので永井教授は産業と訳されたのであろう。従い彼はすべての業の付く多くの省の初代大臣の名誉を持っているのである。序に1950-1951年は 初代のインドネシア大学学長である。1894年ウオノソボのRaja 5代につながる家系でオランダの教育からハーグで学び最後はオランダ企業の接収の為に出向いていたオランダで病気で58歳を終えた。インドネシア大学の広大な学園内には [UIの19の学長通り]に彼の名前が付いている。

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