« イオンと伊藤忠の貢献 JCM | トップページ | ベチャカユの知名度 »

2018年2月28日 (水)

バンテンの観音堂

こんな偶然があるだろうか、何気なく見ていたバンタンの観光目的地サイトでこの間から話題が続いた観音様のお寺を見つけたのである。バンタンはオランダも日本軍もここから上陸したのであるがイスラムもここが上陸地点の一つであったので仏教があるとは思わなかったからである。 
00klenteng_bantan_b
Googleなどで探しているうち、自分自身もきっと写真を撮っているぞとマイアルバムで見つけたのがこの写真である。ここはバンテンの中心地の博物館とMasjid Agungから言うと西北に当たる。道路名がViharaとBio Bantanとお寺の意味の名前の道路が交差するところにある。小生はその手前にあるおオランダの砦Speelwijkに行きその小高い砦の中から見下ろしたとき偶然写真に撮っていたもので旨く写真を撮っていたものだ。
20180220_5
このお寺は最初はイスラム導師Sunan Gunung Jatiが中国人の夫人Ong Tien王女の為1542年に建築したものである(昔は寛容だった?)が、現在の物はスルタン・ティルタヤサの時代1774年に移転後のもので奥にはTri Dharmaと言う別廟もあり、観音が首座であるが仏教、儒教、道教共通の寺院となっている。
20180220
其処から北の海岸までは何百メーター程度あるが、この一帯は昔通りの耕地のままで発展の跡もなく車ではいけない。この海岸線の辺りを日本軍が上陸したものであろうがその時も上陸地点を聞きながら探したものの誰も知っているものはなくあきらめざるを得なかった。

20180220_7

一番賑やかな港(Pantai Teluk)はさすがに河岸や道路は整備されていたが人の姿も少なく荒涼としたままである。且つ二つの海岸に出る道をつなぐような道は海岸線に沿ってはない。

その地点まで出てきたら、沖の遠くの島を望見するだけであった。

バンテン・セランには見所が36ケ所もあり、このBanten Lamaでも上記博物館とモスクだけでなく博物館に着く前にSurosowan王宮跡やKeraton Kaibonなど広大な遺跡がある。

昔ブログにしたいくつかのバンテンシリースの中からと「バンテン国と遺跡の崩壊」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-ac0e.htmlを紹介しておこう。

|

« イオンと伊藤忠の貢献 JCM | トップページ | ベチャカユの知名度 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イオンと伊藤忠の貢献 JCM | トップページ | ベチャカユの知名度 »