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2018年5月28日 (月)

Ancolのクレンテン DaBoGong

00klent_ancol

アンチョールにある中国寺院に行ったのは何時だったか、ブログでは2008年であるが、実際はもっと昔1990年の頃で、その後2度程再訪しようと思ったが、発見できず、それは進展した開発の所為にしていたが先般例のサッカージャカルタチームのグラウンドとも関連するインターナショナルスタデイアムの敷地をgoogleで探しているとき、この中国寺院はアンチョール公園内の、これもブログにしたオランダ人戦争墓地http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/ereveldancol-78.htmlの近くにあることを知り、なぜ行けなかったのかと不思議に思ったが、今またGoogleで確認するとやっぱりこれはアンチョールの外側で難しい位置にあることが解った。簡単に言えばクマヨラン側のアンチョール公園の入り口の方から住宅地のチェックを受けPasir Putih Rayaを奥に進み


00kelenten_ancol_da_bo_gong

最後右左に分かれる直前で左のPasir Putih IXに曲がり更にまた左に曲がった所にある。大分端ながら住宅地、それも高級住宅地の中にあった。昔行った時は荒涼たる浜辺で左手に大きなジャングルもあったが、今はスッキリしている。

この寺院は1650年以来何度か建て直されながらここにある。現在のは18世紀の遺蹟がいくらか残っているのかも知れない。Fu de Zheng Shenを祀っている道教らしい。或いはDa Bo Gongという土地の豊饒の神かもしれない。建設はSampo Soei Soe(Sam Po Sailer)ともいうが、伝えられる謂れはあの鄭和(Cheng Ho)が1400年代に来航しこの地に上陸したが、その時村人は大歓迎で宴を催し美人の踊りにも興じさせた。鄭和の親しい友人で料理長のNg WuはこのSiti Watiという美人の踊り子にほれ込み言葉も難しい中求婚、7回の鄭和の出航の幾たびか後マレー語も習得したNg Wuはここに戻ってきて二人は結婚、幸せな生活を送ったそうだ。ただ彼女は豚は口に出来ず彼はあのプテ(Jengkol)の臭さには手が出なかったそうだ。その後二人は子供も恵まれないまま世を去りここに葬られたがある時そこから煙が昇り、香りもたち、村人は祭壇を備え、お寺ともなったとか。 


Pagoda_of_tua_pek_kong_temple
この神は航海の安全を守る水神でもあるようでシンガポールにもDa Bo Gong (大伯公)のお寺はあり、マレーシアではTuā-peh-kongとも言われSibuの7層の仏塔は有名である。それぞれに纏わる話は違うようだが、アンチョールのDaboGongにもこの7層のタワーが見える。


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