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2018年5月19日 (土)

パレンバンの落下傘

もう過ぎて3ケ月もなるが2月14日はバレンタイン・デーであるがこれはパレンバン・デーとして祈念しているご家族の話を読んで、語り継ぐべき話だと感心した。パレンバン油田を攻略するために緒戦に日本軍が行った落下傘部隊の隊長の著作である。著者は降下部隊240人の中の1小隊(60人)の隊長であった奥本實大尉(降下時21歳中尉)とご子息の奥本康大氏(S25年生、元出光)で心打たれたいくつかの点を挙げると当時でも落下傘部隊は敵のど真ん中に降りていく作戦で高射砲の中に飛んで火に入る夏の虫で成功率は非常に低いものであった。
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歌や絵では「藍より蒼い大空の真白き薔薇の 花模様」とはやされたが将に空の神兵であった。この絵は有名な宮本画伯の空の神兵である。 少尉はすべてに幸運の人で先立つ大陸での戦いで鉄兜を銃弾で打ち抜かれたが命拾いしたことから始まり、この落下傘攻略の第一陣の第1連隊は挺進基地に行くまでに輸送船沈没する事故でそれで中尉の第2連隊が飛ぶチャンスが回ってきたこと、挺進基地はプノンペン近郊でまだシンガポールは未だ落ちず戦火の中、そこからパレンバンまで550㎞で当時の飛行機では1回の往復の1,200kmしか航続できない中、加藤隼連隊長が命を懸けて1時間も上空擁護に当たってくれた事、接近は地上300mで飛び出し50秒弱で着地、銃火器は別の落下傘で落とすのですぐには見つけられないまま身につけた拳銃と手榴弾のみで、何とかそろった5人で偶々遭遇した敵トラック4台、兵150人を爆破成功、敵は右往左往で目指す空港も別動隊の油田施設も敵は投げ出し状態だったようだ。最後に降下した小隊は占領済み飛行場滑走路に悠々降下したような状況。奥本小隊長には特にその活躍で後に天皇拝謁迄賜っている。書ききれない幸運が貫いていた。そして氏は90歳の天寿を全うしているが、隊長として部下に靖国で会おうと別れの杯を交わしたその時の心情を90歳まで持ち続けた男はかくならんと気持ちを近づけてみた。

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