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2018年5月15日 (火)

ヘダ物語の清涼感

昨日読んだ幕末期の外国人の見た日本という本を又取り出した。150年も前の時代だが、日本人は変わったのだろうか。当時日本の開国を求め忍耐つよい外交を進めたアメリカやロシア、イギリスの人たち全ての印象記では日本は「喜望峰以東で一番偉大な民族。。」、皆日本人の礼節、清潔、親切、陽気、明晰、友好、寛容、文化度、天性、知識欲と共有、魅力的女性、美しき自然、桃源郷に驚いている。当時の欧米人の純粋さにも驚くが、印象に残ったのはプチャーチンである。1853年ペリーに遅れて来航、長崎で待たされ余りの長期に一旦情報収集や修理で出たものの未だ交渉は続き函館、大阪、下田など引き廻され、挙句に54年12月安政の地震に見舞われ船は破損、修理廻航中に座礁、放棄せざるを得ず、已む無く日本人の協力を得て戸田村で新しくスクーナー帆船を築造、ヘダ号と名付け一旦はそれで60人が乗り帰国、翌年又やってきてヘダ号を日本に返し、更に外交を続け1855年4月やっと和親条約にこぎつけ更に56年追加条約、58年修好条約迄完成させた。座礁した船の砲56門も幕府に寄付、最後ロシアでは元帥に叙せられた。 遺言の戸田村への資産の寄付の為娘さんが来イしてもいる。明治政府はこの友好を謝し勲一等で遇している。今でも戸田村では記念行事が続いているそうだ。ヘダとは沼津市戸田のことである。ロシアもアメリカも本当は友好な国民であることを認識させられる。その後軍国に走った日本は他民族の友好を信じなくなった。
この頃彼らの軍事力では歯もたたなかった日本が今ある、一つは幕末時代の日本の一人一人のおかげなのだ。 民度が最大の国防の力である。

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