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2018年5月23日 (水)

麻布のヒュースケン

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先日は東京幕末観光をやってみた。ジャカルタと関係付けるとすればオランダとなるが、幕末ハリスの通訳官として活躍したのはオランダ人のヒュースケンであるが彼は最後理不尽な薩摩人に襲われ非常なる最後を遂げたものである。1853年黒船来航、54年和親条約締結の後、領事館開設と通商条約締結の為に日本にやって来たハリスはヒュースケンを連れて55年本国を出発、途中多国との要件を済ませ1856/8/21に日本に到着、領事館開設・通商条約までには2年から3年という長い期間無為な生活を強いられた。その間にも徐々には日本生活に慣れ馬上散歩なども楽しんでいた。初めての嫌なものには忌諱する気持ちも沸くが、日本人の生活にやさしさと敬意をもって付き合ってきたのではないか。友好と礼節と歓迎の日本人に愛しさをもって綴っている。台風や火災など災害にも負けず明るく復興に働いている日本人に感心する風景は東日本地震を思い出す。 西洋の文化を吸収する姿に、ひよっとして日本の良さを破壊することになるのではとよぎったこともあった。彼の滞在日記には歴史的価値も高いものであった。

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少し遅れの英国やプロシアの活動にも協力を惜しまなかった1861年1月15日は、赤羽橋外国接遇所で会議会食のあと馬で麻布の公使館に帰る途中、
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そこからすぐの中の橋で数名の攘夷テロに襲われ、警護の幕府兵は蹴散らされたが、馬丁などに雨戸に寝せられ届けられたが傷口は深く大変な苦痛のなか死に付いた。享年29歳であった。このころ外交関係で各国からの外国人も多く一人一人が日本日記を残しているがこの死に立ち会った一人の描写には慟哭を呼ぶ。それがこの日彼が埋葬された麻布の光林寺に向かうきっかけになったものだ。広尾メトロから歩き出したがすぐタクシーにし500円台で行けたと思う。地図の表示や標識もないが行ってみると明治通りに面して大きな駐車場があり奥に山門が見えすぐわかった。
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大きな禅寺で右奥に墓場が広がる鬱蒼たる丘陵地でその最右端にお墓はあった。
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どなたかもお詣りしたのであろう 花もまだ新しい。そこから接遇所があった現在の飯倉公園にも立ち寄ったが、うずもれた幕末の一つの訪問であった。詳しくは同好の士のブログをどうぞ。http://spottedseal.at.webry.info/201009/article_3.html
お世話になったGoogleからの本堂はサクラの季節、この写真の右端を奥に奥に入っていく。四つ目の右折れ通路の際右端にある。カラスに見られながらやっと探り当てた。


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