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2018年6月20日 (水)

スマランのKota Lama

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マイアルバムに古きオランダ時代の建物がある。記憶ではスマランに行った時運河を渡り切る際に振り返った時に慌ててシャッターを押したもので、今見るとPTPN XVと言うものであった。PTPNとは難しそうでだが何のことはない、PT.Plantation Nusantaraというものでオランダ時代のジャワでのサトウキビからの製糖業の会社を独立後接収しこのような番号を付けて監理したその一つであったが、当然その前のオランダ時代もありその当時までさかのぼればNV CULTUUR MAATSCHAPIPIJ DER VORSTENLANDENとなるが意味では同じ業種である。 時代は1888年で強制栽培が終わった1870年の残り香の時代である。そして現代でもPTPNのその名前の通り国営農園として残っており、スマランにあるのはPTPN IXでこのXVとの関係までは調べるのは止した。設計家の名前もKarsternかと探ったがデータはなかった。住所もJl. Empu Tantular No.5 – Kota Lama Semarangとなっていたが、Jl. Sendowoで橋の名前はBerokでKota Lamaから青年の塔に向かうときのことであったことが思い出された。

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Google Mapを見ると、この並びには綺麗にリノベされたオランダ建築がずらりとあるお伽の国のようだ。世界遺産の価値がある。勿論治安は保証できる。

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