« あの頃の朝鮮 ”この世界の片隅で“ | トップページ | マーマミア! モーリーダーリン »

2018年7月24日 (火)

マルンダのKapten JonkerとSi Pitung


Cilincin_nov06_021
ジャカルタの最北東の地マルンダに行ったのは10年も前だが、さぞや変わっているだろうとGoogleで訪ねることにした。あの時はタンジュンプリオクからまっすぐ工場団地KBN Marundaに向かったが直前に橋(Kali RW. Malang)があり真っ直ぐ団地を付けぬけて行くと


Marunda_sep307_019

又大きな河口Sungai Titram)に出て、行く手をはざまれ其処から遠くに見える方に伝説の男たちの遺蹟があるのだろうと諦めた。
Hunting110
今見ると確かにその更に海岸の方にモスクAL Alam Marundaがあり近くにJonkerの墓がある。


Marunda_4museum_home_pitung
そこから300m南にMuseum Home Pitungが記載されている。 海に近く高潮の為に高床になっているようだ。

Marund_si_pitung

JP誌によるとCaptain Jonkerはアンボン出身でマタラム・ススフナンのボディガードでありトルノージョ反乱でVOCと強調関係からスペールマン総督軍の隊長でもありその軍功によりマルンダの地を与えられていたが最後はVOCに裏切られ殺されている。Si Pitungは農民の為に戦った義賊として有名である。

再度ここに行くことを地図上で探すと あの時渡った橋はLama(古い)となっているので少し河の上流を探すとJl. Akses Marundaと言う通りがこの川を渡っているのを見つけた。しかし今となっては
どちらも大型コンテナーが走り相当傷んでいるようで、マルンダ港の拡張が進んでいる。
この地区はこのKBNの南は広大な湿原地帯で地図を見るとあぜ道が書かれているようにみえる。

Marunda_akses_rusun_8
それでも広大な空き地ではあるので、多分市内のスラム街を取り壊したあと、住民の移住先としてここに集合アパートがいくつも建てられているのだろう。
そしてこの地区の東は東洪水運河(KBT)がバンテン州ブカシ県と分かつように走っている。上記の二つの河は上流でこのKBTが分かれたものである。


|

« あの頃の朝鮮 ”この世界の片隅で“ | トップページ | マーマミア! モーリーダーリン »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« あの頃の朝鮮 ”この世界の片隅で“ | トップページ | マーマミア! モーリーダーリン »