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2018年7月23日 (月)

あの頃の朝鮮 ”この世界の片隅で“

Youcubeはスマホ保有者の好みを読んで色々誘ってくるようだ。この数日似たような話にぶち当たり不思議さに打たれている。自分の半生も反映しているようだが長く離日していると昔の頃の日本の状況は今初めて知ることばかりと言うこともある。出だしは友達の文章からだったのか長くメモしていた”竹林はるか遠く“と言う言葉である。Wikiで見てみる。日本敗戦時の北朝鮮からの命からがらの引き揚げて来た少女家族の話であったが、悲惨さには泪するものの朝鮮の人のやさしさに触れるシーンもある。そして何故か”この世界の片隅で“である。広島と呉の地で平和な市民の世界に襲い来る戦争の嵐の中で生きていく二人の淡々とした愛の姿である。原爆で多くを無くし、終戦のラジオ放送の後には、もう呉の街に朝鮮太極旗が建つ風景に自分たちも誰かを従えていたのだと気づいたと書いているが、それは読んでいるこちらにも両作ともども、その背景にそこはかとなく日本人の人々の心の隅の誇りが感じられた。そしていつから小生はイムジン河と”悲しくてやりきれない“といいう歌に惹かれて歌うようになったのだろうか。この歌が出た1968年頃だったのか小生はもうドイツにいた。これはフォーククルセーダーズであったがその前のブロードサイドフォーの“若者たち”は会社の演芸会か何かで先輩の編曲でコーラスしたことは覚えている。フォークの初期の頃である。
その若者たちも当時TVドラマの主題曲で大ヒットとなっていたが1966年これの第33作が日本人の在日差別を扱っていた。その年突然起こった北朝鮮の叛乱亡命船の日本到着事件で南北朝鮮、中国ロシアを含めた国際大事件となり、“若者たち”もそのあおりで放映を自粛してしまった。
そしてイムジン河であるが、このコンサートで満場涙にくれたこの唄はフォークル仲間の一人松山氏が少年時代朝鮮の人の唄っているのを気に留め、友人となった朝鮮人の友達の姉から習った記憶からリーダーの加藤和彦に話し、フォークルとして編曲・日本語作詞をしたものであったが、朝鮮からの抗議で発売直前で何万枚かのレコードを店先から回収し、放送禁止となった歴史をもつ。代わりに作ったのが悲しくてやりきれないである。
小生には色々初めて知る話ばかりであった。いずれも当時の事は解らないが、他に手はなかったのか、朝鮮問題は日本(政府)は苦手である。

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