« カザン、ノヴゴロドのこと | トップページ | ke~の用法 »

2018年7月16日 (月)

カンプンサワーの今

Kanpung_sawah
JP誌でカンプン・サワーと言う地名に出会った。SAWAHと言うのは田んぼであるが沢から思い出せる。コタにもこの地名サワブサールがあったのでバタビア城外はみな田んぼであったのである。時代が下って19世紀までにジャカルタ郊外はオランダ人の入植商人などで開拓され多くのカントリーハウスが出来た。Kp.Sawahは北(タンジュンプリオク)にもあるが南(クバヨランバル)にもあるが、タマン・ミニの南東にもある。この地区に住む人々はスンダ出身だとかブタウイと言うが彼らの名前はKadimanやSairin,Sulaemanとか特徴がある名前でクリスチャンのコミュニティでオランダ人が保護して作られた部落である。1800c、FL.Antingと言う裁判官やKyai Ibrahim Tunggl Wulung氏らが紹介したとある。逃れて来た人々でここで洗礼を受けPondok Gedeとかに隠れていた人々もいたようだがこの近くのPondok PutriやPondok Melatiにもこのんようなコミュニテーが散在している。現在のPasundan Christian Churchの流れである。Pondok Gedeにほ大きな地主の家があったが、1990年頃には引き倒されスーパーなどになったが惜しいことをしたものだ。改悛の情が地名として残す事に表れている。こうしたオランダ人の家はカントリーハウスと呼ばれるが、同じシリーズにKapuk PoglarにVogelaar Villaがあったそうであるが、いつの間にか痕跡もなくなっているそうだがインターネットでも全く気配がなかった。
200年以上も太陽に焼かれ、物憂い貧しさの中ではこうなるのは運命である。最近の日本も無力と無智をさらけ出し国土は荒れている。温暖化対策と、江戸時代に帰った治水対策、軍事防衛より災害防衛を優先するリーダーを必要としている。目の前の事件に騒ぐだけのメディアはいらない。

|

« カザン、ノヴゴロドのこと | トップページ | ke~の用法 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« カザン、ノヴゴロドのこと | トップページ | ke~の用法 »