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2018年9月25日 (火)

私の台湾 花蓮港

20180924_4

もっと知ろうと思ったのは生まれた時代の台湾と今の台湾の事でそして取った本が「霧の蕃社」(中村地平)と「蕃婦ロポウの話」(坂口䙥子)である。その中で扱われているのは日本居住民134人惨殺の霧社事件でそれは我が家の家から100㎞も離れてい居たのであろうか、そしてほんの十年程度前に起こった事件だったようだ。その頃日本の巡査と蕃婦との結婚は奨励はされこのこの高山の山奥では二人は愛しあってはいたが転勤命令で山を下り賑やかな花蓮港に住んでみると日本社会から白い目で見られ、堪えられなくなった巡査は失踪した。蕃社に出戻りになってしまった妹を想いそして責任感からいつしか兄の心に日本社会への反逆心もつのり、事件となる。日本人学校建設や(ダム建設も?)の使役の厳しさもあった。台湾が日本領地となったのは1895年であり事件の1930年は既に35年がたち日本の理蕃政策も上手く行っているように見えたし妹の結婚或いは出戻りからも10年やそこらは立っており憎しみを和らげる時間も十分だったように推定された。地図を見ると現場は台中と花蓮港との中間の縦走山脈の高地でこの山脈に多くの現地部族が住んでおり政策的には囲い込みで高山族を囲繞し山から降ろす政策をとっていたもので、山に固執するものと降りる者或いは反逆派と親日派に分けることも出来る状態の中反逆派は6部族で1,000人ほどであった。又当日現実に凶器を取ったのは300人ほどで真っ最中の居留民の学童懇親運動会に躍り込み婦人子供迄140人ほどの惨殺者を見たものである。政府は警察以外に陸空軍を投入、軍としても初めてと言う飛行機による爆弾投下までやり、500人規模が死亡或いは自殺し500人が投降した。しかし翌年には軍にそそのかされたのか逆に親日派の蕃社が反逆側を襲撃し200人規模を殺害した第2霧社事件が起こっている。
事件の首謀者は結局あの兄のセデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオで、永久抵抗で洞窟にこもったがその白骨は1934年発見され、戦後遺蹟と共に埋葬された。
地図拡大するとMona・Rudo Memorial Parkと現場の霧社櫻台が見える。

台湾の人口23百万の内先住・原住民は60万人で全人口の2%(認定は16族あるが毎年減っていくか)で最大はアミ族である。あの小説の中で蕃婦をしこめすなわち (醜女)としているものもあったが、どうして今ミス台湾はあみ族出身である。ビビアン。スーの可憐で明るい歌にはホットするものがある。
当時日本では陛下の慎みのお言葉もあり、台湾植民地化には大分気を使っていたのだろう。
Youtubeには「なつかしの蕃社」(霧島昇・菊池章子)や少し離れるがサヨンの鐘など出てくる。
花蓮港 花蓮舞曲
https://www.youtube.com/watch?v=90nKMPN3bW8

https://www.youtube.com/watch?v=dbSoy_lbVJY https://www.youtube.com/watch?v=dbSoy_lbVJY
には現地人の踊りや綺麗な観光風景もみられるが序に花咲港も聞いて、不思議な感興から1日離れることが出来なかった。


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