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2018年10月12日 (金)

バテック・クリスでHansonに行きついた

東京建物のプレスリリースで、プロジェクトに参加させてもらう相手パートナーのダルマ・ミトラ・ウタマの代表者にHandokoとのみ書いてあった。ネットでサーチしても会社名も代表者名も掠らなかった。以前日本の企業が当地で事業をやるのに町の名前がCilincingとかCakungが正しく読めてないものにぶつかったが 騙されてないことを祈る気持ちになる。そして斯く言う小生自体、最近関連不明の名前のラッシュに会っている。こちらは新たな発見のうれしいラッシュである。
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先ずはHandokoで姓はTJOKROSAPUTROである。父はKasom Tjokrosaputroで1920年代にソロでバティッククリスの事業を起こした(実際のPT Batik Kerisの設立は1970年)事業家である。父は1976年に亡くなったが、設立の時からHandokoが社長で又弟Handimanが1974年来、紡績・ニット部門のPT Dan Lirisを担当している。Handokoは1949年生まれITBは多忙で中退のままである。Handimanは1952年生まれフイラデルフイアの繊維学校卒。
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Handimanの娘さんMichelle Tjokrosaputroは1992年パリのアメリカ大学を卒業後自らのハンドバックの事業を起こしてカルフールなどの小売市場を通じて販売していたが、Dan Lirisは倒産の淵に立たされて父の懇願の声で父の繊維事業への愛を感じ後を引き継ぐ決心をした。Global Business Guide誌、Women’s Obsession誌、SWA誌などにも取り上げられている。Bateeqと言うFashion ブランドもクリエートしている。
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会社の名前はUdan Liris霧雨を意味する。霧雨が撒いた種子に芽を出させ強い植物に育てるというわけだ。Kasomの5人の子供の係累の中で後一人成功者がいる。それがHansonグループのBenny Tjokrosaputra(kasomの孫、Handokoの子息、Trisakti1991 卒)であったのだ。彼はBentjokさんと呼ばれるが繊維から輸送まで41の会社(うち以下5社が上場)を率いている。

1. PT Hanson International Tbk (MYRX)
2. PT Rimo International Lestari Tbk (RIMO)
3. PT Armidian Karyatama Tbk (ARMY)
4. PT Sinergi Megah Internusa Tbk (NUSA
5. PT Oto Trans Indo
この中にはバティックはないが何度も確かめたので一族は間違いない。
冒頭の名前のラッシュという部分の他の名前の一端をを挙げると;
眼鏡のKasoem、
産業大臣Surachman Tjokrodisurjo、
Indika グループ富豪 Wiwoho Basuki Tjokronegoroがいる。


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