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2018年10月の投稿

2018年10月31日 (水)

変わりゆくラーデンサレー通り

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TIMの近くのRaden Saleh通りNo.47 に由緒あるOasis レストランがあったが、いつの間にか閉鎖されている。ここでは殆どの日本人がバタビア名物のライスターフェルをトライし又バタックのコーラスグループのこの上ないもてなしと美声にジャカルタに来て良かったと思ったレストランであった。何故閉鎖したのか考えても解らない。歴史もあり、むかし「オアシス・レストランとRijsttafelhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/rijsttafel_7230.html 6月1日」でブログにしたこともある。
その店の向かいにはスンダ料理の踊り子の居る店で、ここもよくお客を連れていったものだ。Raden Kuringと言う名前で当時似たような名前の店はあちこち見た記憶がある。 今のこの店の写真には後ろに例のアパートメン3棟が堂々と立っている。
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店の造りは変わってないが中身がアラブ料理になったのであろうか店の名前もアルジャジーラと変わっていた。 
このラーデンサレー通りは、昔からアラブ系の店やホテルがあったがどんどん浸食されてきているようだ。ラーデンサレーの邸宅遺蹟やその前にあるSurya Hotelも探訪記を書いているが今はその確かめには行きたくない。 歴史は流れる。

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2018年10月26日 (金)

TIM裏のアグンセダユのメンテンパーク

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タマン・イスマイル・マルズキの改修ニュースを伝えたJP誌の写真では昔何もなかったこの公園の裏辺りに高層ビルが建っていてギョッとした。 公園入口の横は昔はオランダ時代のプールが打ち捨てられていた後もう10年以上前にホテルが建ち今はIbis Hotelとなっているがこれは写真には見えない。このホテルを通り過ぎると左手に奥に行く道がある。確か昔は何もなかったと記憶するがこれを奥に入ると、チリウン河に行きつくまで3棟もに立っているのだ。そこはT 字になっておりチリウン河に添って歩道ともなる道路がきれいに整備されている。

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そのこと自体も2014年頃にはTIMの裏手から完成まじかを望見出来ていたものだ。

アパートは33m2~から2LDK主体で我が日本のマンションより立派だ。マンションよりもアパートに乗り換えたくなる。
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屋上プールもあればGimもある。ロビーは広く豪華だ。そういえばここはホテルとして利用されているのだ。2,500円見当でやすい。いつもRpの換算レート自体がおかしいのではないかと思う現象である。
デベロッパーは既にこのブログで語りつくしたアグン・セダユグループであるが9月28日のブログで物件名に記載漏れがあったようだから追記しておいた。
このアパートからはラーデンサレー通りも見下ろし出来るが、あそこも昔の良さが全てなくなり何故かアラビアの街になりつつある。

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2018年10月25日 (木)

TIMのJassin文学資料館 

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チキニのイスマイル・マルズキ公園http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/tim_7574.htmlは好きな公園である。

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インドネシアのフォークの父のイスマイルマルズキの名前を冠した文化公園で昔からプラネタリウムが有名だが2~3の映画館もあるが大劇場があり海外からの公演などはここを利用するので新館も建てられた。今年は50周年とかで更にリノベされる。レストランもいくつもあったがどれもサービスが今一つで施設のリノベより、もてなし心のリノベが必要だ。 


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ところでこのリノベの中にHB Jassin 文芸文書センターが入っている。Hans Bague Jassinは余り有名ではないがインドネシアの現近代文学の作家達の恩人ともいえる文芸ジャーナリストで2017年ゴロンタロ出身(2000年没)である。40年代から文芸誌の編集に取り掛かり、新人発掘や出版を手掛け53年からインドネシア大学で講じ、 63年の政治第一主義に反対した「文化宣言」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-4653.htmlの発起人の一人となった。 76年から彼が独力で収集してきたコレクションを基にヤシン文学資料館が開設されたものである。名前も埋もれているがこの資料館がTIMにあることを知る人は誰もいまい。小生も何度もほっつき歩いたがプラネタリウム館(或いは市の図書館)の裏手の奥の隅っこにあり、巨大な新劇場との間に埋もれていたことを今日知る所となった。 (入口の階段が樹木の間に見えるだけ)


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2018年10月24日 (水)

スナヤンの射撃クラブ

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この間スナヤンの射撃練習場(クラブ)からの流れ玉が近くの事務所に飛んできた事件があったそうで、早速点取り市長はこの射撃場の移転をぶち上げている。

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あの射撃場は広い設備で一般人も気軽に利用でき小生は出来ないので施設のレストランで旨いビールを飲んだことを思いだす。この辺りは何も高層ビルなどは昔無かったが、今は勝手に何かが近寄って出来たのだろうか インドマルコのニュースを見ると「10/16 国会議員ビルに近くの射撃場から流れ弾2発、幸いけが人はなし。」とある。玉は近くのビルの6階だとか。このクラブでは射撃の的は低い位置にありここから外部に球が飛び出すのはオランダ時代からなかった話である。
ここのお客が事実だとするとクラブのロケーションの問題より実行犯の問題であろう。


議員様は強いと言うことかも知れない。真相は知らないので、この市長なら、ポピュラリズムでやりかねないと勝手に想像されたので、こんなにブロクになってしまった。

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2018年10月23日 (火)

JP誌の韓国観光とキャッシュレス

韓国の観光省がアジアのジャーナリスト・ブロガーなどを韓国観光に招待したらしいことがジャカルタポスト誌が報じており味なことをするなと読んで見た。多分イベント自体は台風で台無しだったらしいが色々観光名物は紹介していた。
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ソウルのいくつかの伝統市場は観光地となっており、JP誌はNamdaemunの他に、TonginとMangwon Marketを挙げられていたが、南大門市場は写真でそれと分かったものの、どうも韓国はハングルだから英文になってもチン分カンプンである。ネットで調べると南大門は1414年開設の市場で市場には10,000店舗もの店があるそうだがTonginとMangonは解らなかった。ネットで序に出て来た水産市場は元日帝時代京城水産市場として開設されたらしいが30の卸売商が出ている程度で参考にならなかった。
韓国の売り物はK-Pop、K-Dramaである。その他JP誌の紹介した文章のなかの韓国語の名前には冬のソナタのChuncheon、Daehak-ro festival、Gyeongbok Palace、Theater Yongなど出て来たが心あたりが無いのが残念だ。南大門のJP誌の写真とネットからの写真を挙げておこう。

ところで日本では今頃に日本のキャッシュレス社会の遅れを騒いでいるが、いつものことながらTVの報道の底の浅さにいら立つ。韓国はキャッシュレス社会が9割以上に対し日本は18%である。そして韓国のキャッシュレス社会の日本のTVの紹介はクレジットカードの借金苦問題とかキャッスレスの政府主導は脱税摘発だとかに負の面に偏りすぎである。
また日本のクレジットカード会社の加盟店へのチャージについてはなにも説明なく日本のカードの加盟店は相当高いらしい。だから日本ではクレジットカードは嫌われ、使うことを通常消費者は遠慮することになる。(xx円以下は遠慮下さいと案内してあったり。。)
韓国の実際は主なものはクレジットでなくデビットカードであり、手数料は0.2%とかで宝くじもついており3方良しのように紹介さるべきと思う。 日本の宝くじは独占されているのでこれも日本では採用できないと思う日本人は多い。

キャッシュレス化ではクーポン好きの日本ではそのキャッシュレス化のクーポンがなくなるのが不人気のようだ。 だから政府が景気を盛り上げるのに何か付けたいのであればやはり宝くじだろう。多分韓国は1000円程度で宝くじ1枚で5万円を買おうと宝くじ券は1枚らしく貧富に対し公平である。国民全員が公平に参加できるのだ。もしそうでないならそうすればよい


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2018年10月22日 (月)

デルタマスにパナホームや日本人学校も

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9月にパナソニックとシナールマスのスマートタウン開発事業のニュースが跳びかった感がしたが、この前触れは1年5ケ月も前にあったのをあまり気にしてなかったのだ。場所はデルタマスであるが、その開発会社プラデルタ・レスタリ(以下DMASと省略、昨日のブログ参照)の親会社シナールマスランド シンガポールの昨年の営業報告書にもちゃんと記載があったもので、そこにはDMASがパナホーム(Panahome Asia Pacific)とスマートタウン開発のJVの署名をしたと報告であった。

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J/Vの名前はPT PanaHome Deltamas Indonesiaでパナホームが51%、DMASが49%の比率で総面積37ha、2030年までに住民1万人の街(SAVASAスマートタウンと称する)を建設するもので9月のニュースはその販売ギャラリーも出来、第1期13ha、811戸(庭着き2階建て)の予約販売開始のニュースである。
スマートタウンと言うのは特に環境や安全などに配慮したことが目玉で太陽光発電や雨水活用システム、通風・換気システム、カメラや人感センサー防犯システムなどが設置されている。価格は10億ルピア前後か、一方DMASは価格4億程度の低価格住宅も同じデルタマス・ナラヤパークで販売している。


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ギャラリーはあのブカシ県庁・県議会サークルの前のサクラ・パークホテルに隣接している。この巨大なサークルの周りにベカシ県の行政地区として県庁・県議会以下郵便、警察、労働省事務所、宗教・裁判所まで多くの県舎が出来上がっていた。DMASが土地を提供して誘致したのかは不明ながらこれは便利である。教育はEdutownという地域を用意してバンドン工科Sains大学がある他、特に日本人学校がここに出来ることが殆ど確定している。又高速鉄道カラワン駅にも近く高速は37㎞と新たに41.6km地点に新GTが出来る。ここのジャカルタ寄りの隣のKota MandiriがリッポーのMeikartaである。これは先月ブログにした通り行政がなかなか許可が下りてないように見える。

最後の写真は2012年だから今はもっと進んでいると思う。


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2018年10月19日 (金)

タウンシップNo.3 のデルタマス

先のHansonグループの15,000haもの住宅地開発はこれからのものであり、過去に単独でブランドを持った開発物件はないので、これら大型住宅地のランキングはやはりBSD、Meikarta、そしてDelta Masになるのだろうか 但し、Jababekaは2,500とか5,000とか計測の問題もあるので後にまわすとして、又Cibuburも全体は大きいがここはシナールマスを含む大手Developerを合計すればの話である。
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そこでDeltamasであるがこれもシナールマスのものである。但し今はだれでも知っている通り日本の双日が主に工業団地開発の為参加し合弁の形をとっている。工業団地Greenland International Industrial Center(GIIC)は現在 1,300haで会社として全体の開発許可面積は3,000ha(実際は3,200ha見当か)である。この全体の名称がKota Deltamas とコタが付いているのでこれは住居と商業地域或いは医療・教育施設を含むものであるがジャカルタ都市部にもモールの上のハイライズビルと複合させ商業施設と住居+アルファーの小規模なものをコタとかCityを付けているのは多い。例えばKota KasabrancaとかThamrin Cityであるので、これら小規模のものと区分するためにはインドネシア語ではKota Mandiri(自立都市)とか英語ではTownshipを使用すればいいであろう。
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そこでこのタウンシップのKota Deltamasであるがこの開発主体の会社名はPT Puradelta Lestari Tbk である。この株主はSinar Mas Land(SML)が53%(株主名・比率は変更あり要留意)、日本の双日が25%である。ファミリーの個人所有もいくらかはあるのかも知れない。会社の会長はMuchtar Wijaja、社長はHONGKY JEFFRY NANTUNGで、副会長と副社長は当然に双日からである。
設立は1993年11月、そしてつい最近2015年5月に上場したばかりである。 商業施設は高速道路からの入り口ゲートウエー及びCivic Greenに用意され思い出すのはイオンが前から進出を計画していた。住宅は全体の22%を予定し 最近パナソニックのパナホームとの開発のニュースがある。

最初と最後の写真は2012年のもの、真ん中は同社の宣伝写真を借用した。

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2018年10月18日 (木)

元祖シナールマス

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元祖シナールマスと言うのは一寸おかしいがグループ創設の総師Eka Cipta Wijaya氏95歳の事である。
大きくなりすぎたシナールマスグループの事を何か触れるとするとその要は簡単にでも資料化しておく必要があるが、今まで多くのシナールマス登場のブログを書いたが総師については恐れ多くてできなかった。そこでWikipedia程度の受け売りとしてもいいではないかと、全体図の部分を掲げることにした。

氏は福建省生まれ(1923年~)で、中国名は黃亦聰(Oei Ek Tjhong)渡ったマカッサルで中学から商売を初めている。そして1970年にシナールマス社を設立し、大財閥に育て現在事業を紙パ、アグリ(食用油など)、金融・保険、不動産開発、通信、エネルギー・インフラの6部門に分けている。2018年のフォーブス富豪リストでは実質1位の139億ドルである。(世界でも100位見当、日本なら3位グループか) 氏は子だくさんで息子さんだけでも9人+娘8人、それぞれが部門や地域を担当しているが。何人か挙げれば長男トゥグー(紙パ)、次男ピーター(シンガポール)、3男フランキー(インドネシア・パーム・開発)、4男インドラ(金融)、5男フランクル・ジャワール(ホテル・オフイス)、6男ムクタール(BSD)、そして今や孫の時代にもなりつつある。PT Sinar Mas Multiartha Tbk(SMMA)は全体のホールディングではなく金融部門の統括会社であり、グループ全体の頂点の持ち株会社はグループの要として存在するのか不明で多くの国内外上場会社が重層的にある。
巨像のようなもので一挙には触れないので徐々に焦点は好みの不動産に迫りたい、その一歩である。


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2018年10月17日 (水)

Kota WisataとGrand Wisata

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Cibuburの中心地は高級住宅地のKota Wisataであり、先のブログでタイトルのつけようもなくいやになったと言うのは何を言ってるのか解り難いが、

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その前によく似た名前にGrand Wisataという高級住宅地もあり、この二つをシナールマス・ランドのホームペイジで見つけ、更に彼らの物件ギャラリーを見ながらその膨大さ、巨大さ、多岐広範さ、豪華さ、高級さ、花樹と陽光の温かさに驚いた後の感慨であった。


それは今更、この年齢で、この生活の中で関係を持とうとも何の手段もなく遥けき彼方に行ってしまったこのグループに対等に対応できる日本企業ももはやないのではないかとさすら思ったからである。Grand WisataはJAPEK高速道路のブカシの辺りに高速をまたぐ大きな陸橋とその看板があり、そこの専用の高速出口(Tambun)からGrand Wisataに行くことができる。

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そしてそこを長方形の右上とした図面を書くと左下の隅がKota Wisataなのである。従い両社は対角線上でつながる。
Grand Wisataは全面積 1,100haと大型で、2㎞南にアジア一とか言われるWater Park Go Wet ! がある。対するKota Wisataは単独では480haであるがその南の同じシナールマスのLegend Wisataを含めると1,050haとなる。コタの中には美しい公園や設備の数々もあろうが行くことも住むこともできない身には事業チャンスとしてのみの記述としよう。尚TODとしての高速とLRTの路線は共に近くにオープンを待っている。
入り口当たりの自分の写真は古いがアップした。下は位置マップ

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2018年10月16日 (火)

Ba-SAR-Nas

先般チブブールのボーイスカウトジャンボリー地区で、震度7.0の地震が発生、災難者も出た事件が起きたようだが、実際は国家災害救援庁に訓練だった。この国家災害救援庁と言う機関はBadan Nasional Pencarian dan Pertolongan からBASARNASと省略されこの省略形の中に英語のSARが入っており、それは捜索と救助(Search & Rescue)であった。本文にも何も解説はなく報道タイトルがびっくりする内容だったので調べてみたわけだがこのSARには以下のように多くの意味があった。 昔SARSと言うインフル菌の発生も思い出された。又冬が近ずいたのでインフルエンザには気を付けよう。(無料接種の案内もきていた)


1. =Sons of the American Revolution
アメリカ革命の息子たち:アメリカ独立革命の前夜にイギリス本国政策への抵抗を目的として結成された植民地人の大衆組織
2. =Safety Analysis Report
安全性分析報告書
3. =Saudi Riyal
《通貨単位》サウジ・リアル
4. =scaffold-attached region
骨格付着領域
5. =search and rescue
捜索救助
6. =sialic-acid-rich
シアル酸の豊富な
7. special administrative region
《a ~》〔中国・北朝鮮などの〕特別行政区
8. =Special Administrative Region
特別自治区、特別行政区◆中国返還後の香港(1997~)およびマカオ(1999.12~)の。香港内では SARだけで「香港」を指す。
9. =specific absorption rate
比吸収率
10. =statistical analysis report
解析報告書
11. =structure-activity relationship
構造-活性相関
12. =successive approximation register
逐次近似レジスタ
13. =suspicious activity report
疑わしい取引の報告◆マネーロンダリング対策のため、疑わしい取引を金融機関、弁護士、税理士、一般企業などが法執行機関に報告すること

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2018年10月15日 (月)

チブブールの驚異

愈々LRTのチブブール線の線路敷きが始まったようで絶好の別荘地が都心と近くなる。12月には開通とか言われているが、チャワンから都心への乗り入れとか接続は触れられてないのでその確認は別の機会にしたい。別荘地と言ったが前から通勤可能な住宅地で今後は更に人口が増えるのだろう。ところで一言でチブブールと言っても色々ある。

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チブブールの名前が冠せられた場所・施設等の広さは小生の目測では5kmx20kmに渉るようで少なめに見ても10,000haであろうか。そこは県市で言ってもジャカルタ市、ブカシ市、デポック市とボゴール市の4県を掠めるほどだが、行政区分ではCiracas郡の中のCibubur町だけで4.5km2と小さなものだ。Google Mapから作ったその部分では左上の1cm四方程度だ。Jagorawi高速のGT Cibiburがまず中心線でその左手がジャカルタ・デポック、右がブカシ・ボゴールで最左に森林公園(Kehutanan)、南はLegenda Wisata住宅地、右はCitraland 北にインドネシアボーイスカウト・キャンピンググラウンドの色々施設がある。
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従いここをBSDやJababekaなどと同じようにコタ・チブブールとひと塊のコタとは言えないが、その中にいくつかのそれより小さめのKota 或いはCity XX と言うのがいくつかある。上記のLegenda WisataやCitralandもそうだが最大はコタ・ウイサタが右の中心地にある。Kota WisataもLegend Wistaは二つともシナールマスでCiputraはCiltraland Cibuburの他にこの南東のJonggol地区に Citra Indah Cityを開発している。この他にもHarvest City やRaffles、Puri xxxなどいくつかもある。以上Cibuburを大掴みにしてみたが、タイトルのつけようがむつかしく大概いやになる。写真は2012年


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2018年10月12日 (金)

バテック・クリスでHansonに行きついた

東京建物のプレスリリースで、プロジェクトに参加させてもらう相手パートナーのダルマ・ミトラ・ウタマの代表者にHandokoとのみ書いてあった。ネットでサーチしても会社名も代表者名も掠らなかった。以前日本の企業が当地で事業をやるのに町の名前がCilincingとかCakungが正しく読めてないものにぶつかったが 騙されてないことを祈る気持ちになる。そして斯く言う小生自体、最近関連不明の名前のラッシュに会っている。こちらは新たな発見のうれしいラッシュである。
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先ずはHandokoで姓はTJOKROSAPUTROである。父はKasom Tjokrosaputroで1920年代にソロでバティッククリスの事業を起こした(実際のPT Batik Kerisの設立は1970年)事業家である。父は1976年に亡くなったが、設立の時からHandokoが社長で又弟Handimanが1974年来、紡績・ニット部門のPT Dan Lirisを担当している。Handokoは1949年生まれITBは多忙で中退のままである。Handimanは1952年生まれフイラデルフイアの繊維学校卒。
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Handimanの娘さんMichelle Tjokrosaputroは1992年パリのアメリカ大学を卒業後自らのハンドバックの事業を起こしてカルフールなどの小売市場を通じて販売していたが、Dan Lirisは倒産の淵に立たされて父の懇願の声で父の繊維事業への愛を感じ後を引き継ぐ決心をした。Global Business Guide誌、Women’s Obsession誌、SWA誌などにも取り上げられている。Bateeqと言うFashion ブランドもクリエートしている。
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会社の名前はUdan Liris霧雨を意味する。霧雨が撒いた種子に芽を出させ強い植物に育てるというわけだ。Kasomの5人の子供の係累の中で後一人成功者がいる。それがHansonグループのBenny Tjokrosaputra(kasomの孫、Handokoの子息、Trisakti1991 卒)であったのだ。彼はBentjokさんと呼ばれるが繊維から輸送まで41の会社(うち以下5社が上場)を率いている。

1. PT Hanson International Tbk (MYRX)
2. PT Rimo International Lestari Tbk (RIMO)
3. PT Armidian Karyatama Tbk (ARMY)
4. PT Sinergi Megah Internusa Tbk (NUSA
5. PT Oto Trans Indo
この中にはバティックはないが何度も確かめたので一族は間違いない。
冒頭の名前のラッシュという部分の他の名前の一端をを挙げると;
眼鏡のKasoem、
産業大臣Surachman Tjokrodisurjo、
Indika グループ富豪 Wiwoho Basuki Tjokronegoroがいる。


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2018年10月10日 (水)

Harapan Indahはコタ

西鉄の3番目の住宅開発The Veranda(Cilandak)はブログで紹介したが2番目のは昨年の事だったか目に留まらなかったようだ。その時同時に二つの状況は説明したがhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-2dc6.html、これはDamai Putra Development社と合弁で同社が開発中のブカシのKota Harapan Indahで総戸数は1,531戸(2棟 2期分、22年竣工)を建設するものだった。
今未だ建設中だろう。

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ところでこのHarapan Indahであるが、Kotaという名前を付けている通り、CityでありCityの機能を全てDeveloperの手で用意するもので総面積は2,200haもある。
Damai Putra Developmentは1981年創業以来、ジャカルタ市・ブカシ市・中部ジャワ・東ジャワ地域とインドネシアの広範にわたり不動産開発事業を行っているそうで代表者はBenny Gunawanである。Bekasiに来る迄はMagelangからPurwokerto, Purbalingga, Wonosobo, Purworejo, Salatiga, Yogyakarta, Madiun, Ponorogo, Sidoarjo, Temanggung及びSurabayaで事業を行ってきた。 


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ブカシでは2013年にモールやオフイス棟も完成し2014年からフルに販売している。彼は68歳であるが、すでに子息Edward Gunawan,はPepperdine UniversityのMBAと University College London の都市開発などのMScを卒業し参加している。教育機関もSekolah BPK Penabur, Al-Azhar 、Universitas Esa Unggul .或いはホテルはSantika Premiereが開業したはずである。ホテルはKota Harapan Indah Mallを持つ16階建ての上層である。難点は若干遠いとかバス使用となる点である。 その後2,200は2,500haとなっている。


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2018年10月 9日 (火)

15,000HAの住宅地 Hanson


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恐ろしい話に出会った。首都近辺の新都市開発でシナールマスのBSDが6,000ha、続くのかリッポーのメイカルタが5,000haを知ったあと続く新都市開発をシリーズで探そうと思っていた矢先なんと15,000haに出会ったのである。知る人は知るのであろうか、既に2013年頃からの話である。今はHanson International Tbkのハンソン・グループであるが社長のBenny Tjokrosaputraは自らの会社Mandiri Mega Jayaを1973年に設立し1984年からSoloで住宅開発を始め現在は400haの住宅地をやった後首都圏に進出し90年にこれを子会社化する形で上場し、金融危機で放出する土地を購入し今まではむしろ大手ディベロッパーの為に土地を供給してきた(過去10,000haを供給)が2009年からの住宅開発ブームで自らもデベロッパーに注力する方向を変更、従来から鉄道駅アクセスある遠距離地を手当てしてきて今は4,000haを首都圏で持ちローコスト住宅供給に転身するが、この株主割当で増資し資金15~20兆で更に土地11,000haを手当てしようとするものである。
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過去Ciputraと460haを共同開発してきたが今後は独力或いは中韓台香の企業を呼び込んでやろうとするもので現在保有地はバンテン州Maja地区(Balaraja, Tigaraksa及び Cikande県にまたがる)が中心で今後の手当含めBogorやSerpong地区を狙っている。やはり華人のスケールは大きいと感心する。15,000haと言えばパリの面積を越えた1.5倍である。
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写真はgoogoleMapより。借用。行ってみることだ

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2018年10月 8日 (月)

Ciptra Residense のCitra Premier

次から次とジャカルタではデラックス レジデンシアル アレアが開発されるニュースが流れるが、これらのニュースにはロケーションが明示されてないのでこれを探し当てるゲームにはまることが出来る。

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その中でも難しいのはチプトラかもしれない。まずはこの名前からスペリングがあやふやになる。元の謂れはCinaのPutera(或いはPutra息子)であることのだがこのままCiputeraなのかCiptraなのかに或いは変化させたCitra(イメージの意味)も使っているので確かめねばならない。グループの会社名はCiputra Development TbkとCiputra Property TbkとCiputra Surya Tbk(Tbkは上場会社の意味)があるので Ciputraが正しいのだろう。開発済みのプロジェクト名を挙げると 住宅関係だけ且つジャカルタだけにするとCitra Garden City、Ciputra World、 CitraLake Suites、Ciputra Mall、Citra Grand Cibubur、Ciputra International、Citradream 、CitraHome Apartment、Sommerset Grand Citra、Ciputra Residenseとなる。殆どロケエーションを冠したものはなく将に普通名詞に近い。

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念の為Ciputra Propertyを見るとこれは子息4人が1994年に設立し開発物件はWorldとMallとHotelが主で全て名前はCiputraが冠されているようだ。(SammasetはWorldの開発地の一角でその前からあった)
PT,Ciputra Suryaの開発案件は例えばCitraLand Surabaya、CitraGarden Sidoarjo、CitraGarden Lampung、Ciputra Golf & Family Club Surabaya、Ciputra World Surabaya、Universitas Ciputraなどがある。主としてJawa外であるが、ここでもCitraは住宅だ。

最初に上げたCitra Garden Cityは飛行場の近くのKalideres地区にある。ところがGarden Cityは1984年からCiputra Residenseにより開発されたとされており、それで気が付いたが、Ciputra Developement tbkを頂点とするグループ企業にあと1社非上場でCiputra Residenseと言う会社があったのである。又Citraは主格のCiputraが作った目的格の住宅に付ける名前かも知れない。
所でこの9月4日にニュースで報道された新しいコンセプトのシニア 向けresidenceはCitra Premier by Living Well云々と言いCiputra Residenseが豪州の会社リビング・ウェル・シニアーズ・コミュニティーズとの合弁で作った高齢者向けクラブである。50歳以上のシニアに家の外での活動に参加する場所とイベントなどを提供するようだ。インドネシアでもシルバーロングステイの時代になってきたのかな

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2018年10月 6日 (土)

9月度インドネシア投資環境:ニュースは停滞、8月と共通

*大型地震 2件 * Rp暫安で輸入抑制 *プルタミナ女性元・現社長に司直の手
*大統領選白熱 政治不寛容 *高速道路建設は進む *日本の鉄道会社不動産投資 
*韓国勢い $62億経協、現代SUV生産、斗山火力、現代EGディ工場 地震見舞一番乗り

以下記録
9/5  京阪電鉄不動産とナイス、ジャバベカとチカランでゴルフ・リゾート開発計画。
9/13 ダイセー・ログ・インドネシア、GIICで物流倉庫建設
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9/20 ルミネ、プラザ・インドネシアに12月オープン。
9/26 西鉄、チランダックで分譲マンション合弁開発へ、総事業費71億円
9/5  貿易赤字抑制で1,147品目の輸入PPh22税率引き上げ
9/26 首都の埋立事業は停止、計画あった17島のうち13島の基本許可取り消される。
9/24 政治的不寛容が増えている:イ調査研究センター。来年の大統領選に向けて注意。
9/18 リンタス・マルガ、クルタジャティ高速道、融資8.9兆ルピア獲得。
9/14 首都外環第2高速道は来年の開通目指すと公共事業相。
9/26 チネレ~セルポン間高速道路建設に国有3行とBCAによる協調融資9,500億ルピア。
9/27 デポック間高速道(全長21.6km)一部開通、アンタサリ~ブリギフ間5.8km。
9/28 中スラウェシでマグニチュード7.4、3mの津波も発生。死亡被災急増中  Oct8で5,000人も予想 RIP...

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2018年10月 4日 (木)

ジャカルタの東京リバーサイド

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東京リバーサイド等と言う魅惑的な記事を保存していたのを、頃合いだと開くとまたアグンセダユに出会った。そういえば9月28日のブログ「アグンセダユのGalaxy Town」で上げた同グループの物件リストの中にPIK2とかパルタイ・インダー・カプックの名前があったがそれと関係するらしい。

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ジャカルタ・ベイの人造島の真向かいに見る地区で大昔行った時は、もうはずれで、のどかさがあった。当時其処にTsu Chiの礼拝堂があったが今回のこのシリーズではアグンセダユに近いPulauIntanが建設したものである。グループの本社ビルもPulauintanが建設したものの如しで文章で確認したものは出会ってないが両社も非常に近い中かも知れない。

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PIK2と言うのは当時から地区の名前であると思っていたが今見るとなるほど地区の公共的名前には違いないが、彼らが開発する一帯の都市の私的名前でここに東京リーバーサイドや大阪リバーサイド(道頓堀)、旭川など地名を付したアパートがある。全体で1,000haの中には広い空間の中で緑地やガーデン、湖水、白浜、Waterpark、Lotte Thema Park、Shibuya Shop Arcade、UGM、Prasetiaなどなどが計画に見える。日本人が昔、欧米の都市に留学し西欧の文化・文明に圧倒されたようなことが、今にここジャカルタで日本人を襲うのではないかと心配だ。Aguan氏が何故日本の名前をつけているかも事情は知らないが小さいStudioタイプの部屋など多く用意したのが氏の日本イメージなのだろうか、シルバー世代のリタイヤ―ヴィザ用かもしれない。だからかここの価格帯は数億ルピア、つまり日本の1/ 10過ぎないので第2第3の別荘も構想できる。


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2018年10月 2日 (火)

西鉄・プラウインタン勃興飛躍

わが故郷の西鉄が又ジャカルタで住宅開発に参加したニュースがあった。日経やジャカルタ新聞の報道は有料であるので同社のプレスニュースを当たって見た。
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今回のは南 ジャカルタチランダックの地下鉄始発駅ルバックブルスの近くで、現地PULAUINTAN社(社長Pia Sudarto)と共同で分譲マンション「ザ・ベランダ」4棟、663部屋を開発すると言うもので来年着工し23年竣工予定とのことだ。これでロケーションはかなり明確である。実際にGoogleで行って見ようと思い立ち探したがその近くに Veranda Pondok Indahと言うのは見つけた。ここはMRT Terminal Lebuk Bulus の南でもう少し南西側にで10年もむかしだったか決壊したSitu Gintungという貯水地があった。Pondok IndahはLebak Bulusの北の高級住宅地なので名前を借用したのであろうか。
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Googleのカメラ隊はいつ廻ったのか知らないがその辺りの空き地は既にクレーンが二本立って工事の囲いがしてある。施主が解らないので再度VerandaとLebak BulusとPulauintanのセットで検索したら引っ掛かった写真はもう建設は仕上がりTopping風景である。これはよくよく見るとLebak Bulusは無視され、Puri Pesanggrahanで2016年の出来事だったことがわかったがこれも彼らのプロジェクトには違いない。


何せ彼らのサイトのプロジェクトリストは15ケ所が14頁に亙って(約210件)が名前と写真がありそれぞれクリックすると又写真が出てくる充実さである。それも大型のものでありこれだけの不動産開発会社(大手は上場)は見たこともないが此方は総合建設会社で最近でこそ自ら開発も行ってきたものだろうと推察した。インドネシアの不動産業界は華人の開発会社(施主)は大手がきらびやかにあり、その建設会社は国営大手中心に5~8社程度が有名だけで、民間上場は皆無なので疑問視していたもので今頃その一つ(非上場ではあるが)を見つけたことになる。なるほど少しは見た記憶がある。
西鉄はこれがジャカルタ第3弾で第1弾は先にブログした日系4社共同のBSD案件であり

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2件目はブカシの開発会社Damai Putra Development社(代表者:ベニー・グナワン)のKota Harapan Indahで総戸数は1,531戸(2棟 2期分、22年竣工)を予定している。地方鉄道の西鉄も相当なものであるが、インドネシアの中(?)堅企業の成長も驚異である。

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数ある施工の中からこれは彼らのサイトの説明ではThe Head Quarter of Agung Sedayu Group and Salim Groupとある。


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2018年10月 1日 (月)

アグン・セダユのアグアン

先週の続きでアグン・セダユの総師はSUGIANTO KESUMA氏である。2018年の富豪リストを見るとインドネシア第47位 67歳の 資産$997milである。(グヌンセウのトップはHartadi(68歳)とHusodo Angkosubroto(63歳)兄弟で$1,350milの37位であったので一人当たり同格か或いは上となる。)
グループの会長であると共に2014年から PT Bank Artha Graha Internasional Tbkの副会長、PT JIHD (Jakarta
International Hotels & Development Tbkの会長である。
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氏は中国の仏教Tzu Chi の副会長をしており、NUと協力覚書をしている。Tzu Chiについては「インドネシアにもZhu Chiの教え」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/zhuchi-34f7.html?optimized=0で書いたことがある。
成功を遂げた彼は彼の財産、心も体もこの救済的活動に捧げている。一方でジャカルタ港湾プロジェクトでKPKから追及を受けてもいる。1951年パレンバン生まれの華人でAguanという名前でも呼ばれ、彼はスハルト時代末期以来Tomy Winataとパートナーであった。 Siapa-siapaによるとこの間の事情を次の様に表現している。 AquanはあのTommy Winata とは分離することはできません。Aguan は強力なギャングのネットワーク九龍会の頭領でトミーのボスだったのでインドネシア警察との関係も近く。警察が関係する"プロジェクト" がある場合は、"呪文" (Mantera)を持っていた。。。。。

いくつかのメディアがインドネシアにドラゴン・バンク・インターナショナルの進出を報告した。バヌアツに本拠を置く銀行は、マネー・ローンダリングを受けた後に「違法なお金」を管理する金融機関の1つで、オーナーの1人はスハルトの社長が所有するPTハラパン。。である。。。。いつ頃のことを言っているのか詮索しないことにした。
Artagraha

そして今年7月トミーウイナタの持つPT Bank Artha Graha Internasional Tbkの株主総会はAguan Sugiantoの息子Richard Halim Kusumaをコミサリスに選出したが父親は副会長、トミーは会長である。そしてKPKは結局Agung Podomoroの現役員たちを有罪としAguanの出国禁止は解かれた。Agung PodomoroもAguanの.会社であった “Agung Podomoro adalah perusahaan properti yang didirikan oleh Aguan”と結んであった。

益々ジャカルタは華人たちの草刈り場で情報と金が入り乱れる強者が跋扈する土地で今頃一挙に入って来たような日本不動産業はどう考えたらいいのか考えさせられる。

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