変わりゆくラーデンサレー通り
TIMの近くのRaden Saleh通りNo.47 に由緒あるOasis レストランがあったが、いつの間にか閉鎖されている。ここでは殆どの日本人がバタビア名物のライスターフェルをトライし又バタックのコーラスグループのこの上ないもてなしと美声にジャカルタに来て良かったと思ったレストランであった。何故閉鎖したのか考えても解らない。歴史もあり、むかし「オアシス・レストランとRijsttafelhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/rijsttafel_7230.html 6月1日」でブログにしたこともある。
その店の向かいにはスンダ料理の踊り子の居る店で、ここもよくお客を連れていったものだ。Raden Kuringと言う名前で当時似たような名前の店はあちこち見た記憶がある。 今のこの店の写真には後ろに例のアパートメン3棟が堂々と立っている。
店の造りは変わってないが中身がアラブ料理になったのであろうか店の名前もアルジャジーラと変わっていた。
このラーデンサレー通りは、昔からアラブ系の店やホテルがあったがどんどん浸食されてきているようだ。ラーデンサレーの邸宅遺蹟やその前にあるSurya Hotelも探訪記を書いているが今はその確かめには行きたくない。 歴史は流れる。
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