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2018年11月の投稿

2018年11月30日 (金)

天女の滝 Curug

Curugと言うのは小生に取っては地名であり、なぜか飛行場の記憶がある。単にそれを地図で見ただけの記憶かも知れないが、最近南タンゲランからボゴールの地図を眺めているときこの地名は多く出てきてこれは何か意味があるのだと気が付き

Bidadari_sentul_goo

今初めて辞書を引くとCurug =滝であった。(ただし小生の前からの大学書林にはない)
結局Jakartaを除くBODETABEKの全てにあることがわかった。中には二つもあるので10指になるのであろう。記憶の飛行場はKarawaci近くのBudiarto Airportだろうか、今は固有名詞が付いている。其処ら当たりの道路名にCurug Rayaが付いており行政区の名前でもある。

しかし中でもBogorが山地だから一番多いのであろうがGoogleで多くの人が滝と戯れるレクレーションの滝の池の写真を見つけた。ピンと来たのはスカルノだったかそのコレクションにこの滝で湯あみする天女たちの絵画である。確かそれもBidadariの名前がついていたMisteriのCeritaはまたの機会にしよう。


Lukisanbidadarimandidanjakatarubart


ピンと来たはずである。この絵は「Bidadari 天女とBasuki Abdullah」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/bidadaribasukia.html?optimized=0と言うブログで書いたのを見つけた。

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2018年11月28日 (水)

ジャカルタには金のモスクも

ジャカルタは南のデポックの方の話でこの近くにはDepor-Antasari高速とSerpong-Cinere高速が交差する近くで、両方ともまだ建設途上なためGoogle Mapでルートを推定作業をしていた時にMasjid Kubah Emasというモスクを発見した。

Kubah_emas

昔、何かの写真でその神々しいい美しさにジャカルタにもこんな豪勢なものがあるのかと驚いたことがあるので、これだ!と偶然の発見であった。その場所をCinere高速で言えばそのGTの名前は多分RimoとかMaruyungになるだろう。 金のモスクのそばの南北の通りはMaruyung RayaでLimo郡に属するからだが、Tol Cinereは未だ開通してないので Tol Desariで行くとしてもマトアゴルフ場の近くのGT Brigif迄である。1996年頃から建築が始まったものでHj Dian Juriah Maimun Al Rasyidと言うムスリムの慈善家(バンテン出身の金持ちの女性?)がやってきたようだ。一般には2006年に公開した。土地は 50haとか70haもあり、本堂モスクは8,000m2で2万人キャパ、土地面積は中央アジアで最大だそうだ。 イスラムセンターも予定していたそうだが、それは東ジャカルタに既にできている。しかし周りにも何かありそうだし、見物がてらのレクレーションにはなるかも知れない。 写真はgoogleに限る。

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2018年11月27日 (火)

Muliaと共に夜のガトット

ホテルのムリアでムリアグループの建物にふれたが それは “このグループはホテル以外にも多くの不動産を保有しており、ジャカルタの例を挙げるとWisma Mulia、 Menara Mulia、Wisma GKBI、Gedung BRI II、 Menara Mulia Plaza 89、Plaza Kuningan。”と言うものであった。本命はWisma Muliaであるが周辺から攻めると
P89

まずPlaza 89であるが、日本人もそこで働いていた人がいたが、豪州大使館爆破事件でも向かいの離れたここも大被害があった記憶がある。


Map_plaza89
ところがここを紹介するサイトには何と、Mulia グループのジャカルタの全ての物件がマップ化されている。上記に列挙した以外のものを書くと、Plaza Kuningan 北タワー、同南タワー、Atrium Mulia・Kuningan、Sentra Mulia・Kuningan、Wisma Antara、Mulia Business Park・Haryonoである。
Dsc04975
ムリアと言えばホテル・ムリアが建つまではGatot SubrotoのMenara Muliaしか知らなかったし、ここにも高級クラブがあって金持ちの息子たちなどがイザコザ沙汰を起こしたニュースがあったが、あれは Blowfishと言う名前だったろうか。 何か勘違いしているようで。。
Mulia_dsc_0497
調べるとBlowfishの住所にはWisma Mulia City Plaza, Gatot Subrotoとある。そして壁に書かれた入居企業のICBCの住所を調べてもCity Plaza at Wisma Mulia, GF.08, Jl. Jend. Gatot Subroto No. 42とあるので、こちらであったのであろう。つまりここがWisma Mulia(Menaraでなく)でCity Plazaの名前も使っている。

Wmulia_2

ところがここの隣にはあと一つビルがある。入口のビルの名前を確認するとWisam Mulia 2とある。従いGatot Subrotoには Muliaのビルが三つある(HaryonoのMulia Business Parkを別にして)ことになる。この三つをちゃんと書いた資料はこのブログのみである。 


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その又となりがJamsostekビルでここにも 大型バーがあった。今Blowfishの名前を確かめるためBest Bar 100を見たが、立派なクラブがずらりとある。昔はJawa Pubあたりをドカドカ入って行った日本人も今やこのリストのドコも立派過ぎてびくびくものであろう。


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2018年11月26日 (月)

センチネルからバドウイとナガ

アメリカ人の青年宣教師が未開の無人島の島民に弓矢に射掛けられたニュースがあった(RIP)が、あの島はインド領のアンダマン諸島から30㎞の離れ島北センチネル島であった。アンダマンと言ってもどこか解らないしインド領と言うとインドに近いかと思われるが、計測するとミャンマーのヤンゴン港から南西に600㎞でその島から又東に線を引くとタイのラノン港まで600㎞となるのこの3点は正三角形となる。インドの南、或いはスリランカから北東に1,200㎞であるのでベンガル湾の東寄りのど真ん中である。 Googoleでも写真の通り、ここまで。
Sentinel

どこから沸いたかは知らないがここには石器時代から、ある種族が下界との接触を断ち切った生活をして来ており、彼らは自然に種族保持のため外部からの侵入者には襲撃してくるため、どのくらいの人がどのような生活をしているかは政府も、知らない。支援しようとすること自体が絶滅に繋がるからである。つまり現代人の風邪程度のウイルスでもこの種族は絶滅するとしてインド政府は現代人の接近は禁止としている。禁止していることをやるのは自己責任になるが、このような保護種族と言うのはジャカルタ近辺にもある。市内にあれば絶滅させられるが、市内でなく一つはバンテン州のランカスビトゥンの方の山の中のBaduy族であと一つはバンドンのタシックマラヤのカンプン・ナガ族である。インドネシアにはまだまだ多くがあるだろうがこの二つはある意味で観光化されており、彼らの文化と慣習を保護しつつ、彼らも現代技術になんの未練も感ぜず利用できるものは利用しつつ極楽生活を送っているようだ。

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2018年11月24日 (土)

眞都心のプロムナード

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Intilandの57Promnadeこの洒落た名前のプロムナードはどこかと言うとまさにジャカルタの中央になろうとする地区である。まだその地区には洒落た名前はないので有望ある。そこは昔Dukuh Atasと言われていたほか地下鉄の最初の鍬入れ式の行われた時はTosariと言われたしスカルノ飛行場との電車始発駅の時は運河越えのBNIの名前になった所である。と言うと言いすぎでその少し裏側でBNI駅に添った運河カリマランが支流で大きな沼水を湛え最後カリブサールに行くその沼Wadukの所である。タムリン・スデイルマンから数百メートルも離れてないがその沼を見た日本人はほとんでいないと言うほど長く人目に付かぬ場所である。

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よくぞ生き延びたという感じであるが小生は何度か探検に出かけたことがあるが、一番最近はグランド・インドネシアの裏辺りから近づいたが通勤青年たちの単車がびっしり置かれていた空き地利用の仕方であったのを思い出す。
Wadukの名前はMelati(ジャスミン)でかなり南北に広い。今googleで近寄っても彼らが湖辺迄は行ってなくゴミゴミしたところでストップである。 

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このPromnadeはGrand IndonesiaやHotel Ascottのすぐ南に位置する。
57の謂れはJl Kebon Melati、Kav57、Thamrin Jakartaから来ているようだ。
1.3haの場所にCITY 57 とSKY 57 の二つの住居棟を中心にした街を構成している。City57 は1 BR – 55 sqm (160 units)と 2 BR – 103,84 sqm (80 units)を持ちSKY 57は1 BR – 81,91 sqm (76 units)、2 BR – 115,48 sqm (76 units)、3 BR – 182,91 sqm (80 units)と広々としている。ファシリティ面では屋上Sky Garden、Sunset lounge、Gym、Roof Garden、Spa & Sauna, Jacuzzi、Library、Business Center、Entertainment Area、Cooking Class Room、Yoga Center、Semi Outdoor Pool、Children Pool、Function Room、Promenade area、Children Area、Retail Area of grocery, health and beauty、Al fresco F&B、Sports Retail、Jogging Trackとあるが、本当にアルファベットで便利だ。

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2018年11月20日 (火)

GICとIntilandのサウス・スクウエアー

最近のニュースに何度か登場したGICと言う言葉がある。シンガポール政府の保有外貨などの投資運用を担当する国営公社である。 投資物件は当然株式や債券もあるが不動産投資が大きい。小生には初めての出会いであるのでインドネシアの不動産もここまで来たのかという受け止め方になる。
昨日のラジャワリ・グループによるホテル・Four Seasons或いはSt.Regisに絡む物件がその一つである。ラジャワリとの最初のニュースは2014年11月でラジャワリと共同で5億ドルの資本投資を行う協定でジャカルタGatot Subrotoに新たにCapital Place という名前でCBDを建設すると言うものであった。その後このSt.Regisの案件とFour Seasonsに案件が既報の様に場所を取り替えて二つのCBD建設に発展したようだ。
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この後2017年4月にIntiland Developmentと 40-60%でシマトゥパンで7.2haの South Quarterと言う物件に共同投資を取り交わしたが、ここでは20階建てオフイス3棟、商業棟、コンドミ2棟を建てる。ここはFatmawati 病院の右手に辺りLebak Bulus通りとの角地の中にあるが、すぐ目に付く堂々たるものだ。 本当にいつの間に建ったのだろうか、もうNISSANなども入っているかも知れない。

そして続いて8月には同じIntilandとFifty Seven Promenadeと言う物件でコンドミ2軒を建設する。これにはGIC33%、Intiland 36%、そして残りを29.97%をPT. Galang Gema Pradana (Galang).
が出資するそうだ。GICは1,000億ドルの資産をもっているが、インドネシアにはあと最大のシネマチェーンにも2.6億ドルの投資協定を持っている他、画期的には中国のCITIC投資会社の5%shareを持っていることだ。このような政府投資会社はソブリン・ウエルス・ファンドというがシンガポール政府は2つ?もち、GICより有名なのはTemasek Holdingsで2倍の規模がある。

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2018年11月19日 (月)

Four SeasonsがGatotを変える

St. Regisの計画をこのブログで伝えたのは2014年1月28日でGatot Subroto通りでここに47階建てのビルを建てる大きな看板がでていたはなしである。完成は2016年中とあったのでもう出来上がっているはずだが、まずはgoogle Mapで確かめてみると確かに計画の写真と同じような建物が建っている。48階建て215mの高層ビルは全く同じである。 低層が少し斜めすぎとか或いはあと一つ低層があるようにも見える。高いビルはCapital Place Office  Towerと言うようでこの一角をCapital Placeと言っている。ホテルはNautilas Barなどファシリティ含め高層階或いはこのコンプレックス全体を使用しているのであろう。(隣は20階だて、高級ルーム125がある。隣はサトリアマンダラ博物館である。通りのガトットの正面もつい最近オープンしたCentennial Towerや右側はMenara Global である。そういえばいつだったかどこだったかGatot Subroto通りにはモーテルやゴーカート場或いはレスト・コンプレックスが在ったり、或いは目まぐるしく変わったりして、今思えば持て余ししていた気がする。
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Four Seasonsと言えばRasna Saidにあったホテルで立った時はRegent Hotelと言っていたが、こちらもいつの間にかRajawari保有で、彼らはリノべと称して2014年に閉鎖し、Capital Placeに建設していたSt. RegisをFour Seasonsの名前で先にオープンし、

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その後Rasuna Saidの方には殆ど同じコンセプトの高層オフイスタワー超豪華レジデンスと共にSt. Regisを2019年中にオープンすると言う。(写真は同一だろう)
インドネシアのスピード感には小生も追いつけない。


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2018年11月16日 (金)

案外寂しいジョクジャ道

ジョグジャの空港はAdisutjipto空港で市内にあるので手狭、そこで新空港の建設が計画され滞りなく進んでいるというニュースがあった。新空港の場所はジョクジャ州の西端の寒村? Kulong Progoで市内まで56kmもあり1時間半近くかかる。この間隔の感覚は市内からソロまでの距離と殆ど同じであると思えばそのさまが解かる。 
地理的にはジョクジャとソロの間に適当な場所があれば両市から真ん中に20㎞台で共用の空港が出来るのであるが。。 
今の計画では同時にジョクジャ~ソロ間の高速も同時(?)着工らしいが、この観光道路がまだできてなかったことに今更驚く。昔はこの小さな国道を何も思わず往復した記憶があるが、そういえば途中にPrambananがあったからであろうか。 プランバナン遺跡群はジョクジャから18kmでジョクジャ~ソロの中間ともいえる。
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その上、目玉のボロブドールは逆方向のジョクジャから西北(マゲラン)方向にあり二つを見ようとするとたいへんである。ちなみに市内からボロブドールまでは約40kmである。 ジョクジャに行くには西からはチラチャップ、西北からはマゲラン、東はソロであるがどことも高速はつながっていない。むしろスマランからは南にソロの方に向かっているのである。ジョクジャは長く陸の孤島である。


古い絵葉書はあったのに、自分が撮った古い写真は多く散逸。残念。

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2018年11月15日 (木)

コタ・サトゥのあまやプロジェクト

NNAが中ジャワ州の不動産開発業者コタ・サトゥ・プロペルティがIPOで約 4.5億円相当を調達した報道をしていたが、佐藤と勘違いして注目したがそれはPT Kota Satu Propertiという名前であった。

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この会社は主としてスマランで住宅開発をやっており、現在手掛けているのはThe Amayaと言うニックネームの46haの住宅開発であった。このAmayaと言うのも雨夜が説明に登場する程で、語源は不明のままであった。多分そのような固有名詞の“Luxury Home Resort”,イメージがあるのであろう。コミサリス会長はJOHAN Prasetyo Santosoという人でこの人はSalim Groupの不動産部門で働いてきた建築家でこのAmayaのコンセプトやAllstay Modern Lifestyle Hotel.を作ってきたようだ。コミサリスや他の経営メンバーも大手企業経験の未だ若い世代の経営者である。会社自体が2012年設立したばかりでもある。
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“Luxury Home Resort”,といえばスリランカにAmaya resort & Spaと言うのがあった。イメージは一寸違うかな


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2018年11月14日 (水)

チプトラ最初のタウンシップ

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もう100回も通ったスカルノハッタの高速道路であるがその空港の南周りにチプトラの最初のタウンシップがあったことを知り驚いた。いつも驚くことばかりであるが、日本人一般のおごりで冷ややかに外国を見ていた一人だからかもしれない。ただ一度だけチェンカレン・ゴルフ・コースを訪れた時ぐるぐる回ったつもりであるがその時も気が付いてない。半ば気が付いたときはあの10,000haの住宅地造成会社Hansonを知ったつい最近で、HansonがCiputraと共同開発したものにその名前があった。更に先日のBalarajaから更にSerangよりとなるMaja地区もCiputraとHansonはターゲットにしているようだ。
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チプトラの最初のタウンシップとはCitraGarden City Jakartaというもので空港が建設中(1985年オープン)のころ手掛けたもので450~460haもある。Googoleの地図を示しておこう。チェンカレン・ゴルフ場とは少し離れていることが解る。
Ciputera_puri


そこからずっとジャカルタに寄ってJORRに入りTangerang高速と交差するMeruya Interchangeの手前にCiptra Intetnationalが小型タウンシップを手掛けている。Puriの地名を冠しているがGTはKembangan Utaraである、小型と言っても7.5haもある。職住近接タウンである。


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2018年11月13日 (火)

10月インドネシア投資環境 悪夢再来、

10月インドネシア投資環境
悪夢再来、航空機墜落全員死亡、中スラ地震未曾有の結果へ、日イともランキング不振、
住宅建設投資のみ続く

10/4  グーグル・クラウド、ジャカルタに広域データセンター設置へ
10/8  中国系シュータウン、中ジャワ新工場建設へ、従業員最大2万人、投資2億ドル。
10/10 トヨタ・ハウジング、カラワンでの戸建分譲事業、スマレーコンと。
10/24 BCA、電子マネー「フラッツ」1~8月決済2.3兆ルピア、前年同期より3倍も増加。
10/31 東急不、西ジャカルタでも分譲マンション建設へ、35階建て2 棟計608戸。
10/14 工業団地にもハラル:工業省が年内の規則完成目指しているとメディア。
10/15 9月の輸出148.29億ドル、 輸入は146.02億ドル、通年赤字はまだ続く。
10/16 来年最賃上昇率8.03%:労相通知。
10/24 首都MRT第2工区(HI~マンガドゥア)に700.21億円限度の円借款供与へ。
10/31 世銀のビジネス環境ランキング:イは73位(前年72位)。日本は39位。
10/3  チカラン日本人学校の建設安全祈願、来年4月の開校目指す。
10/9  プラポウォ陣営選対幹部のうそ情報拡散:顧問のアミン・ライスも参考人聴取。
10/13 アジアパラゲーム閉幕、金メダル中国(172個)、日本は4位(45個)、イは5位。
10/16 不法就労の疑いがあるとしてパプアで拘束された邦人4人の初公判、無罪主張。
10/18 北スマで仏教寺院や警察署を襲おうとしていたテロ容 疑者2人が射殺される。
10/26 中スラウェシ地震対応終了、死者2,086人、行方不明者1,309人
10/29 ジャカルタ発バンカ行きライオンエアー墜落、189人全員死亡 整備ミスか
10/30 メイカルタ許認可めぐる贈収賄:リッポー幹部が、逃亡の末自首。CEO事情徴集へ
10/30 予算案承認めぐる収賄容疑で国民信託党からの国会副議長が容疑者に認定。

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2018年11月12日 (月)

Ciputraの最大のTownship


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ジャカルタ郊外都市タウンシップは今更花盛りなどと言うよりもう古い歴史もあり、ジャカルタの片隅をちょっと間借りしていた日本人には気が付かなかっただけかもしれない。
単なるマンション建設だけでなく、病院建設、幼稚園から大学までの教育機関、モールを中心として商業施設やリクレーションと緑の広場などなどで益々大型、豪華、ゆとりの環境があちこちに出来ている。これらは住民サービスではあるが大きな事業の芽でありいわば病院も教育も専門外の仕事を不動産開発業者が果敢にやっていることに敬服することになる。
Dijualrumahdicitrarayatigaraksa
5回目となるが今回は不動産の雄チプトラグループのCitra Rayaである。ここに或いはチプトラに近づいたのは3回目で一つはチブブール方面を特集した時、シナールマスの1,050ha 以上の物件を開発している気配と二つ目は10,000haもの土地供給に励んできたHanson International Tbkとの共同開発や今回はセルポンから初めて知るBalaraja前の高速を調べているときこの辺りに見た広大なCitra Rayaである。

チプトラ・グループは国内だけでも島外多数の44都市、100物件、国外も数ケ国に進出済んでおり、その物件名はCiputra/Citraの後ろにRaya、Indah, Land、Grand、Garden、Dream、World、Cityを組み合わせた名前が多いので後ろに場所名を記さねばどれがどれか分からない。


上記のBalarajaのCitra Rayaは正式にはCitraRaya Tangerangである。開発総面積は2,760haでこの中に既にWaterparkとかビジネス集積地BIZLINK Citraraya、テーマパークもあり病院も大学もモールもいくつもある。1994年から開発を始め51 Clusterに分け商業1,800店舗、住民65,000の人口に育っている。ここに住めばKeratonもTAKARAゴルフもマイコースとなる。そして4㎞Bitung寄りには日系のNikko Cahayaがあった。

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2018年11月10日 (土)

オアシスはもうない

先日変わりゆくラーデンサレー通りで消えゆくオアシスレストランに触れたが、a tribute portfolio hotelもあることだから復活もあらんと、昔のスクラップでOasisについてTributeしよう。
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1995年Jakarta Postが掲載した記事と写真からである。
この建物は1928築、最初のオーナーは茶・ゴム・キニーネ商人のBrandenburg van Oltsende、その後は1968年Carol Gandanegara氏が購入しレストランをオープンした。1978年にはGolden Mississippiの故Tirto Utomo氏が購入した。3人ともアートやアンティ-ックを大切にしてきたが散逸しないことを祈る。
RijstafelはDes Indes Hotelのテラスで供されていたものである。12人の女性がそれぞれに持った12皿の様々な料理を取り分けてくれる。指揮するのは当時83歳のMaria女史でこのころのセットメニュでRp125,000だった。バタックのバンドは二組AmoresとYan Sinambelaだった。クリントン大統領夫妻も訪れている。
PS誌を外れると安部首相夫妻の写真もネットにあった。

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2018年11月 9日 (金)

カリブサールのジュンバタンメラー

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デルタマスの開発会社プラデルタ社(PT Puradelta Lestari Tbk)の登記上の本社アドレスはカリブサールと表示されていたので驚いたが、カリブサールと言えば昔、シナールマス銀行とBIIがバラットにあることをブログで報告したことがある。二つのシナールマスグループの銀行に挟まれた建物は香港上海銀行で、シナールマス銀行の隣が有名なトコ・メラーである。と言うことでシナールマスに大いに関係はするがこのジャカルタの保存史蹟にでも指定されている建物と不動産建設の雄のシナールマスとは隔たりがあり何か謂れがありそうだ。 ここにはプラデルタ社の兄弟会社のPT Paraga Artamidaもここを住所としている。シナルマスランドの財務報告では二人の兄弟がRp1,000の株式2.78億株の権利がある表示があったが、この会社は投資ホールディング会社で1989年設立、子会社数社を通じ都市デザインからインテリアデザイン迄の仕事をしているようで、というしっくりこない情報の他は情報はない。

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久しぶりにカリブサールに行ってみるとあのカリブサールが半分蓋をされた水辺公園化されたいることは以前にもブログしたが今回このシナールマス銀行の前辺りに橋がかけられジャカルタ歴史博物館の方に行けるようになっていた。橋の名前はジュンバタンメラーと名ずけられていた。
ジャカルタには既にその名前の橋はあったが、又使用するのに本家のスラバヤには許可を取ったのであろうか。


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2018年11月 7日 (水)

インドネシア語の質問語・文法語

“インドネシア語でなんというの”とインドネシア人に聞く場合その言葉の言葉を知らねばならない。例えば反対語は何かと聞きたい場合、反対語をどういうか分からないと聞けないわけである。そのような言葉を少しまとめておくと
反対語:antonim  英語はAntonym
同意語:sinonim  英語はSynonym
語源:etimologi 英語はetymology
形容詞:Bentuk Kata Sifat、 nomina 或いは Pronomina英語はAdjektiva
動詞Bentuk Kata Kerja、Verb 英語はVerba、Verv 
名詞 Bentuk Kata benda 英語はnoun
方言:Dialek、Bahasa daerah
スラング:Gaul、Prokem
挨拶:Sapaan
諺:Pribahasa
意味:Makna、Arti、更にMaksud?と聞くと答えてくれる意味が解らないといけなくなる。
疑問語 interogatif 例の5W1Hでこれも同じで何度も説明を受けなければならなくなる。
挙げて行けばきりがない。頭書に帰り「綴り」はインドネシア語ではejaanである。正書(綴り)というのは英語のorthographyの中国訳語らしい。そんな難しい言葉でなく 英語のスペルと言う方が早い。
名詞・形容詞など文法語の世界になってくるが文法は英語はgrammarでインドネシア語も発音は同じ世界になる。

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2018年11月 5日 (月)

No.1 コタ・ジャバベカのDarmono氏

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Cikarang/Bekasiのジャバベカ工業団地はベカシ・カラワン地区では一番古い工業団地でそれまではプロガドンやマルンダの団地の他はスンターやタンゲラン、南ジャカルタなど小型或いは単純に集まった地区があちこちにあった。日系の第一次進出は繊維のバンドンも多かったので、チカンペック方面の高速はそれなりに早く開発され、また政府の誘導に乗ってかのようにこちらに工業団地が多くつくられるようになった。


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ジャバベカの創設者Setyono Djuandi Darmonoがこの地を眺めた時は荒涼たる風景でレンガ・屋根瓦BricKの為にあちこち掘り起こされ穴の開いた不毛の地が広がっていたが、彼はこれはチャンスに見えたに違いない。そして1989年ジャバベカ工業団地会社を設立しそして1994年には第1号の上場工業団地会社PT Jababeka Tbkとなったのである。工業団地としては最大の面積3,500haを保有し、火力発電所やドライポートも備えた団地となった。

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又ホテルも数軒、病院3院、ジャバベカ・ゴルフクラブもあり、商業地区や住宅地区も整備しながら全体面積5,600haのタウンシップに育っている。このシリーズでデルタマスに続く4番目に取り上げたが面積的には2番目とすべきであろうか。少し評価が低くなるのは高級住宅や別荘・観光に劣る印象があるからであろうか。多分に創業のDarminto氏の人生哲学に根差しているのであろう。氏は1949年オランダの第2次警察行動の頃ジョクジャカルタで生まれ、最終学業は現在のバンドンのUnbar大学であるが、英国のICIで仕事を始め、マンチェスター勤務を経てマーケット部門長まで11年も勤めている。ビンタロで住宅開発などもやりながら1989年Hadi Rahardja,、Sudwikatmono、Rizad Brasali やAdam Kurniawan等と konsorsium 21を形成しJababeka開発に進んだのである。夢は大きく着手は慎重であり、グスドゥル大統領を模範として霊と複数主義、寛容を重んじている。その他彼はジャワ文化の維持に努めBorobudur、Prambanan、 Ratu Bokoの後援やユネスコ活動、PATAの観光活動支援、更に現在Kota100 プロジェクトと立ち上げ全国に自立都市の建設には励んでいる。 Tanjung Lesungjakartan.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-58a1.html観光特区指定を受け更にKendalやモロタイが続いている。ジャバベカにはJababeka Multicultural Center やJababeka Botanic Gardensプログラムも進み、多くの海外活動や褒賞と相まって立派な都市になっていくのであろう。彼には许龙川という中国名もあった。

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2018年11月 2日 (金)

「インドネシア語の日」に正書法

10月30日はインドネシア語の日らしい。何年の事か、何が起こった日かは解らないが、インドネシア語と言えば、まずは青年の誓いが思い起こされる。1928年10月28-29日の第2回青年の会議で採択されたインドネシアの「一つの国家、ひとつの民族、一つの言語」の誓いである。その関連のブログは10件ほどもあるが言語を扱った「Kongres Bahasa インドネシア語の発展」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-3318.htmlでは6月25日をインドネシア語の日であるとしていた。そのほかインドネシア語のスペリングはオランダ時代のものを引き継いでいたのでこれを捨て簡略化も図った正書法が決められている。それはスハルト時代の1972年であるがそれは大統領決定第57号であるが8月17日付である。正書の一つはSoehartoのoeはuとスペルすることにしたのであるがその法律ではSoehartoとして署名している。英語では正書でSuを使っているがSoekarno-Hattaにも見るように固有名詞では元々の綴りを使うのであろう。
今ではこれに迷う人は少ないであろうが小生は、まだ下の場合迷うことがある。
ch→kh
ie→i
ij→ei
そういえば十数日前か(と思ったら9月3日で2ケ月前だった)このブログでアストラの兄弟の名前をあげたことがあの総師がSoeryadjayaでSuriajayaと読むなどと書いていた。総師の名前の最後はdjajaではなかった。それだと例示が3つも出来たのだが。。
手元にあったスハルトの署名鑑を参考にアップしようとしたが、少し怖くなって取りやめた。ただ彼はS Hartoを崩した書き方であった。

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2018年11月 1日 (木)

Desari高速は便利

ジャカルタ南からデポックに向かう路線に建設中であったデポック(Depok)―アンタサリ(Antasari)高速の一部が開通した報道があった。この高速は略称Desariとも言われる全長21.6㎞の一部でAntasariから5.8㎞のBrigifという場所で
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インドネシア大学の手前のパンチャシラ大学やブタウイの文化村の近くで非常に便利になる。Brigifとは妙な地名だなと思われるがこれはBrigade Infantry 歩兵旅団の意味であるもののこの辺り(Ciganjur-Jagakarsa)には兵営などはない。


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アンタサリと言えばブロックMから無料の自動車専用高架道路Jalan layang nontol Antasari 4.9kmが2012年にオープンしており、これとは直接ではないが1km強でつながる。このJORRとのインターチェンジから南進しJORR 2を超えてデポックの向かう。
この辺りは住宅もあるが果樹園や荒れ地も多いので、土地確保は容易であったのであろう。ただこのBrigifの先の行く手にマトア・ゴルフクラブがあるが越えていくのであろうか。終点のデポックではサワンガンバルのゴルフ場が便利になる。将来はもう目の前のボゴール外環道路と接続する計画である。

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